介護

医師資格の

母のことについて書かないようにと思いましたが、これだけは書いておいた方がいいと思う。

それは医師資格のことについてだ。母の見取りをした医師の資格が、厚生省のホムペで確認できない。

確認できない理由のひとつに、2年に一度の12月31日現在の状況を、保健所に届け出ていない、ということのようだ。しかし、他の人は「そういうものか」と納得しているようでもあるが、私はどういうことなのか分からない。

というのは、その医師は28年だから、その時に出さなかったのだろう、と。それは義務でもあるのだが、とにかく出さなかった。忘れた。他に何らかの事情があるのか?それはともかくとして、その医師に出すように、厚生省の指導に従うように伝えてもらった。しかし、いまだに出ない。

それとは別に、30年に合格した人も出ている。あるいは28年でも29年でも出る。つまり、今年合格した人は、なぜ出るのかといえば、厚生省に申告したからだ、と。2年に一度なら29年の人はどうなるのか。やはり、出る。つまり、私が言いたいのは、2年に一度の申告をしていない医師は出ないという理由が、おかしくはないかということだ。

その機会がない人が出ているではないか。それに対する反論は、本人たちが申告したからです、というものだろうか。では、その時期が来ないうちは、出なくても許されるのだろうか。それなら29年と30年は、どうなるのか?

もともと資格確認サイトで出ないとしたら変ではないか。厚生省はどう考えているかしれないが、とにかく矛盾する。資格者名は公表することが義務だし、医師も届け出ることが義務だ。

以前私は「これでは偽医師がいくらでも生まれる素地がある」と伝えた。とにかく現在の状況は不完全なものだ。とにかく2年に一度という考え方では、合格してから出なくても不思議はない、というなら、なぜ29年と30年の人が出ている、と今夜も疑問が出る。合格してから空白期間があってもいいというなら、これも変だ。合格して資格があるなら、公にされなければならないというのが医師法の趣旨ではないのか。

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母親のことを

母親が殺されたことを、このブログに書いてきたが、なるべく書かないようにしようと思う。というのは、他の人間も検索は使うだろうし、出さない方が得策のように思えることもある。

ただ、カルテを何度読んでも、彼らのしたことは異常だ。あまりにも常識を外れている。怒りしかわいてこない。30歳の一人前の医師になったかならないかの医師と、後期研修医である。考えるだけでもバカバカしくなる。

先の医師は、頭がおかしいのか?とも思う。これは結局自分が誤診したことを隠蔽するために、母を殺害したのだと思う。極端な徐脈になった時に、母の体を他の病院に転院させなければ、殺されると思ったが、それも阻止された。結局殺害された。

そもそもジコキシンを使用する状況をよく理解していないのではないか、と思う。名目上問題ないみたいなことを言っていたら、とんでもない話だ。そもそも母のような状況で使用する薬剤ではない。とにかく何もかもハチャメチャ。来年の2,3月ごろには、何らかのめどがつくのではないかと思う。今年の暮れと年明けには、医師資格が明確になるだろう。医師資格のコピーを見て、こんなコピーをする機械が今だにあるとしたら、それも驚きだ。

あと数か月の辛抱だと思う。違法行為のいくつかは確認できているので、それだけでも最低限のものは行けると思う。

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テスト・練習・やってみる・呼んでみる・手技・死亡宣告・挿管

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天国と地獄それとも浄土

母親がなくなってから、私の中で何かが決定的に変わった。それはこの日本には正義などというものは、全くないこと。すべてが中間色のもの、あるいは無意味なもの。私も来年になれば70になる。

母の死で、天国とか地獄とか浄土とか、そういうものを少しは考える。それで少しは母はどう考えていたのか、振り返ると、ほとんど何もない。おばあさんが、よく朝、太陽に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えていたことは聞いたことがある。でもこれは農家なので当たり前のことのように思う。太陽がすべての生命の源であろうし、疑いのないことと思う。

でも、母は「南無阿弥陀仏」と唱えていることは一度もなかった。父が死んだ時も、一時は線香をあげていた。しかし、それも長くはなかったように思う。神様を信じるとも、仏様を信じるとも聞いたことはない。ただ永平寺や善行寺には行ったことがある。他の人と同じようにお参りしたのだろう。それを考えると、少しは神様や仏様を信じていたのだろうか。

お墓をきれいにしたり、お寺に持って行ったりした。お寺には、墓地の近くに水道をつくってもらったようにしたかもしれない。その時何かを寄付したと聞いたが、私は忘れた。これは信仰心なのだろうか。一度こんなことを言ったことがある。それはまだ年寄りにはなったが、まだ死ぬということが現実的ではないようなときに「一度焼き直さなければダメだ」と。それから仏様は永平寺で二つ買ったように思う。

阿弥陀様と道元禅師の木彫りの手のひらほどの大きさのものをひとつ。主にこのようなものだ。これで信仰心があるかどうかは分からない。私が思うに、それは信仰心というより、今現実のあるがままを受け入れているように思う。何か現実の様子で、これらが現実に及ぼす吉凶を占う、あるいはお告げのようなものを、母は極端に嫌った。これはそのままを受け入れてはいないように思う。

ただ現実を受け入れる。それと地方で育った母親の母親の太陽を信仰するままを、どう受け入れていたのか。そのままではないのか。死んだら人はどうなる。

私は天国も地獄も、この世のことと思っている。では浄土はあるのだろうか。それは現世が苦に満ちているという、動かすことのできない事実によって、存在すればいいという人の願いであろう。きっと助けてもらえると。

こんなことがあった。私は全てのものは何もないと思っている。浄土も。それは私たちの身体が、そのようにできているものと思える。母がガンになり、放射線の治療を受けていたとき、ある患者と話をしたとき、私がその人を励ます意味において、ニーチェの「現実が永遠に繰り返される」ということを、話した時に、母は、なぜだか知らないが、異常に私の言うことに加勢したことがある。「そうそうそう」と。

私自身はそんなことはない、と思っているが、母はどうもそう思っていたのか。私は人の生は一回きりで、永遠の闇の中に入る、と思っている。ニーチェが実存の思想で、「今ここに在る」ことを、切に考えることを重視するなら、私もそうかもしれない。もう後はないよ。今日という日は今日だけ。仏教の無常と輪廻転生は矛盾するように思う。

ただ万物は常に生成を繰り返すならば、骨だけを残して、転生することはあるのだろうか。無常であるのに。

ただ私はこう思う。今の私は苦しい。母親が殺されたことで、どうにも心の行き着く先がない。だからここらで思うことは、母のように生きようということと、母ならばどうするかということ。だから人は、母の言うように焼き直して、永遠に生まれ変わるということを、考えなければならない。亡き人の喪失感を受けるにはそれしかないのかもしれない。ニーチェの時の母の異常な加勢を考えると、母もそう思っていたのかもしれないし、そう思いたいのかもしれない。現実が永遠に繰り返されるということ…。

私はキリストのように生きているが、生成を繰り返すなら、また…。

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捏造?!

何度も母のカルテを読んでいる。その度に怒りが抑えられず、眠れない。

カルテはでたらめ?!とにかく事実と合わない。これを殺人と言わなければなんというのだろう。

持参薬を故意に飲まさなかったことは、他でもあった。それで頻脈になった。「死んじゃうじゃないか」と言われたが、徳洲会の医師も、それぐらい認識しているだろう。つまり故意だろ。

自らの誤診を隠すために、そのまま続けた。しかし、私はこれらのことを他ですべて学習している。過失で普通はつめるのかもしれませんが、私は殺人をゆずるつもりはない。まして事実を相当偽装していることが確定的になれば、許そうはずがない。

他の人間には見破れなくても、私は認識している。私が刑事なら、とっくにつんでいるだろう。今でも他の患者を診察しているということになれば、どういうことになるのか!?このような危険な状況を放置するのは許されることではない。内部告発も自首もないのですかね。匿名の電話もない?としたら、大変なこと…

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持参薬のカルテが

母親の持参薬のカルテを見ていると、どうなっているのか、さっぱり分からない。

つまり、でたらめなのだ。死亡したのは、5月16日の11時05分。しかし、持参薬のカルテでは、昼の薬も夕の薬も飲んだことになっている。

変なのだが、司法解剖をすり抜けるために、それらの薬を死亡直前に身体に入れたのだろうか?最初の頃飲まさないようにしていたから、解剖で引っかかると考えたのか、とにかくカルテでは、飲ましたことになっている。

死亡日は16日だが、私は15日の夜に死んでいるのではないかとさえ思っている。というのは、どうも該当病院では、霊きゅう車の手配のためか、夜浅いうちに死亡しても、翌日の朝に電話が来るということを、聞いている。

また看護婦の出入りに不審に思っている。どうも変だが、それはここでは書かない方がいいと思う。つまりカルテを後から見た場合、看護師の責任の部分が、ボケているのだ。なぜこうしているのか分からない。ただこれでは責任を取る場合、看護師の責任者がとることになるだろう。

薬は先生の指示だ。「転院させるな」という指示も先生であることはつかんだ。また、他院への紹介状は捏造されている。ジコキシンの過剰に投与し、脈が20、30になっているのに、ジコキシンで安定していると書いてある。これがかかりつけ医に行っても、本院で診療する必要はない、と返事が来ても不思議はない。

私が母への急迫不正の侵害を訴えても、かかりつけ医の相談員は、それを医師に連絡するだけだから、これでは通じない。私が、診療を求めても、断れないのだぞ、とメッセージを出しても、伝わらない。現実にその後母は1週間後に死亡しているのだから、私の行動なり行為が正しいということになるだろう。つまり、感覚的に「殺しにかかった」というのが間違いではないということだ。

それでつい最近、ニュースを見ていたら、タクシーの運転手が他の運転手と口論をし、その後車を動かし、「アクセルとブレーキのふみ間違い」であるかのような事件が報道された。殺人事件なのか。それを見ていて、確かにそうなのだ。私と病院の担当医師との、口論ではないが、すれ違いがある。それが何らかの影響を与えていることは、事実ではないかと思う。

私はそれほど深刻には考えてはいなかったのだが、その医師は、何しろ看護師を引き連れて大きな声で騒いでいる。それで引っ込みがつかなくなったのだろうか。「証拠はある」みたいなことを言っているのだ。だが、私はそんなことはいいから、母親の頻脈を持参薬をすぐに飲ませて、抑えて欲しいと言っているのだ。そうすればすぐに治るのだが、医師が持参薬を飲ませたのは、およそ7時間後だ。この後にも、誤診しているジゴキシンの投与を2回している。

だから頻脈がおよそ13時間続いたことになる。家にいて私がかかりつけ医の薬を飲ませば、頻脈になっても30分か1時間で治る。つまり家にいる方がはるかに安全なのだ。死亡した原因の「うっ血性心不全」の状態も、家で治したのが、徳洲会に入院するおよそ15日前。こうなると救急車で入院させたのが、失敗したことになる。とにかくおかしな医師にめぐり逢い、母は殺された。

母の頻脈の病状を医師は今にも死ぬと認識している。今夜にも死ぬと。今にも死ぬという状況をなぜその後7時間も続けたのか、ここに殺意の存在を私は見ている。そしてこの時、2人目の医師・後期研修医に入ったばかりの医師に連絡したのではないか。その最初が7日である。つまり3日後には、その医師が出てくる。

これらの事実関係は忙しくてまだとってはいないが、電話ではある程度確認はしている。おかしな証言をつかんでいる。それはともかくとして、医師は誤嚥性の肺炎と騒いでいたが、それは私はかかりつけ医の方では聞いていない。誤嚥性の肺炎なら、西東京徳洲会にはいかない。死亡する可能性があるから。これらの行き違いが、口論ではなくても、動機にはなり得ることだと思う。

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ひとつの謎がつかめたか?疑惑はしぼれたか?

ここらで母の担当医の詰めをしている段階で、今日は一つの謎が解けたように思う。あるいは深まったのか?なぜなのか分からなかったことが少し進んだように思える。

少し動かなければならないかもしれない。暑い盛りに行けなかったところへ行かなければならない。だがしかし、なぜ私の感は当たるのか?不明。

ますます問題は大きくなっている。病院間をまたがって情報を共有しているとなると、ある意味現代社会の病院の闇が見えてきたようにも思う。

そうなると他の疑惑が出てきて、これはちょっとやそっとの問題でなくなってきそうだ。

私もそうだが、北海道の被災者も眠れることを祈っている。

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医師?

厚生省の医師資格確認ページは何らかの問題があるだろう。

しかし、当該の医師が身分を偽っていることをみても、医師なら、真っ先に登録するだろう。

また、他のホムペには、登録して初めて、資格を得るとも書かれている。これらの文言が事実なら、検索に出ない医師は資格がないということになる。

しかし、いずれにしても厚生省が医師法を考えなかったのがいけない。

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被害届

今日は被害届の書面をもらいに高尾署に出向いた。それで刑事課に行ったのだが、なにかメモなど、書き取るようなことをした。

私はその書類をもらいに行っただけなのだが、出さない。被害届とは「犯罪の被害にあったことを捜査機関に申告する書面」。つまりは、そういうことなのだが、高尾署では被害届の書面も私に渡さない。どのように書けばいいですかと実務的なことを聞きに行ったのだが、書類をくれない。この間は近くの交番に行ったのだが、そこでも被害届はないと言った。

つまり、私が知らないと思ってそう言っているのだろうが、バカバカしい話だが、そう対応した。それで刑事たちがメモを少し取ってから言った。被害届とは、書類ではないと。つまり高尾署では書類ではないらしい。

それで私はそうですかと、帰ってきた。腹が立つので、それを昭島署の望月刑事に電話で話した。昭島署は、そもそも私に「被害届を出すな」と言っている。つまり、捜査をしなければならなくなるからだ。それで拒否している。一生懸命捜査をして、もう終わったことだという。それも訳の分からないことを言っている。「中央も問題ないと」「専門家に聞いた」。私が物証やそのほかのことを言うと、「一体それはどこの誰なのか」と聞いてくる。

それで私は望月刑事に怒鳴った。自分が「中央」とか「専門家」という抽象的な言葉を言っていながら、それは誰なのかとは、私は聞いてはいない。にもかかわらず、私にその情報を言った人間は誰なのかと聞いてくる。それでそれを言えないのだろうとも。

分かりますか、私に内部告発ではないが、そういう人間の名前を教えろと言っている。では、その名前を知ったら刑事たちは何をするのですか。圧力をかけ、私に情報をもたらしたことを、嘘だとも言うように仕向けるのでしょう。そうでなくとも内部告発者の名前を言えとは、とんでもないことだ。そういう人間を警察は今までどう扱ってきたか。誰でも知っている通り、悲惨だ。それを私にやれというのだからふざけている。

自分が抽象的な名前を使っていて、捜査が大変だったようなことを言うが、今日望月刑事が言ったことは、捜査が始まってからせいぜい15日ぐらいのことだったでしょう。それが大変だったという。自分の仕事が大変だと思うなら、やめればいい。市民のために働くのが大変だなどということ自体がおかしい。それでお金をもらっている仕事なのだから。

それで嘘だらけのカルテを調べもしないで、問題ないというのはどういうことなのか。もっと呆れたことに、医師が医師免許を持っているかどうかも調べていないとは、話にならない。今日は、このように刑事さんたちが嘘だらけのことをしていました。これも中央の指示なのでしょうか。この中央とは誰でしょう。

警視総監ですか。小池都知事ですか。猪瀬さんが5千万のお金を徳洲会からもらったというのは、いろいろなことをつぶしました、そのお礼ということですか。こういうことは裏で皆で金を山分けして、ということでしょうか。書き足らないですが、少しの記録として書いておきます。

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6月30日に49日・納骨を施行した

納骨をした。しかし、なぜか気持ちが和まない。やはり死に方による。大往生なら、よかったのだが、苦しんで死んだので、全く納得していない。

死因に対する処置も何もしていない。つまり処置は一切していない。ただ死亡に向かっていただけ。これは結局26歳の研修生の経験を積ませるためのものか?結論はそれしかないのだ。殺人。

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