介護

6月30日に49日・納骨を施行した

納骨をした。しかし、なぜか気持ちが和まない。やはり死に方による。大往生なら、よかったのだが、苦しんで死んだので、全く納得していない。

死因に対する処置も何もしていない。つまり処置は一切していない。ただ死亡に向かっていただけ。これは結局26歳の研修生の経験を積ませるためのものか?結論はそれしかないのだ。殺人。

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たとえばこんなことが言える。

普段飲んでいる薬などを、少しでも抜いたらどうか。たとえば私の場合を考えてみる。

これは薬ではないが、私は腰が悪いために、グルコサミンを飲んでいる。1日6錠だ。これを4錠に減らしたらどうか。これは困る。たぶんぎっくり腰で寝たきりになるだろう。6錠飲んでいても、その日の生活活動によって、微妙に腰が立たなくなる。

この場合、私が齢をとってから病院でグルコサミンを飲ませてもらえるのだろうか。普通こういうものは、飲めないのではないか。特にサプリメントなどは難しいのではないか。と言うことは、齢を取ったことのことを考えて、何らかの処置をしておく必要があるのだろうか。

しかし、病院で手術などをして失敗などした場合のことを考えると、なかなか踏み切れない。

つまりサプリメントだけでもこれだけ考えなければならない。まして齢を取り、動脈硬化をしている人は、多く母親のような薬を飲んでいるはずです。理由があって1日朝昼晩と飲んでいる訳です。これは母親がまだ若かった頃、薬の飲み方を誤解していた。それで私がいろいろと注意をして、飲ますようにしていた。

このときは薬の飲み方が間違っていたために、よく頻脈が起きていたり、気持ちが悪くなっていた。それで先生は「薬をちゃんと飲んでいれば、そうはならない」と言った。

これである。今回はちゃんと飲ませてもらえなかった。だから苦しかったと思います。何かが起きたのか?カルテには注射を打つのに「至急、至急」とある。意図してやったのだろう。

これを考えると、多少飲んでいても、適切に飲んでいなければ、おかしくなるということだ。まだカルテにはおかしな表現があるので詳細に検討しなければならない。たとえば、上記の注射を打つ理由を、何らかの工作で作っていたのか。しかし、私はこれらの注射を打つことを事前に知らなかった。病室で「なにやってんだ」と怒鳴ったから、思わず言ってしまったのではないか。

K先生の誤診を裏付けるように、形を取ったのかもしれない。こういうことをいろいろ話すと多くの人が「普通そういうことは気がつかない」という。

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とにかくひどい!

母親のカルテをみると、矛盾だらけ。またカルテとカルテが合わない。書いてあることが、物理的にあり得ない。2人の先生が言っていることが違う。30歳と26歳。それからもう一人。

1枚のカルテは事実と違いすぎる。母親は持病の頻脈性不整脈が出て、まともに持参薬も飲ませてもらえなかった。考えられないことだ。日本の多くの老人が血圧の薬などを飲んでいるかもしれない。しかし、普段飲んでいる薬を飲めなくなったらどうだろう。特に血圧。

苦しいでしょうね。だから普段飲んでいるのだから。母親と同じような薬を飲んでいるお年寄りもいるだろう。多くの場合、ほとんど同じだと思う。それを飲ませてもらえなかったらどうでしょう。病院に入院してですよ。

血管を開かないところに持ってきて、心臓に強心剤ってなに?それって血液が先に行かないようにしていて、心臓の拍動を強くする?苦しかったでしょうね。その上に持ってきて、腎の悪い人は腎の薬を飲む。母親はここのところで飲み始めたばかり。それでうっ血性心不全を回避することができた。

まだまだ大丈夫と思っていた。ところが腎の薬を飲まさない。抜いている。死ぬ頃になると家でもなったことがないほど、手がグローブのようになっていた。私はそれより前に転院を求めていた。それにもかかわらず看護婦が「転院はダメです」。これもカルテには載ってない。これは殺害でしょう。事実先生が注射を「試してみる」とカルテに書いている。

普通に持参薬を飲ませていれば、今も母は家で生きていただろう。母は死を恐れていたから、それを承知で殺した。母は「かっちゃん~」と言い、私に先生におかしなことをされたよと訴えた。しかし、目はほとんど開かず、話すこともできない状態になっていた。それ以上は続けられなかった。

母は最期に薬が抜けてきた時に、必死に生きたいという思いからか、私に声が出ないのに「うっ、うっ」と返事をし、訴えた。それが最後で翌日には虫の息です。そこで彼らがしたことは、母に「食事は2割」「薬を溶かして飲ます」「翌日にはうまく飲ませられない」最後に腎の薬「ラシックスを1錠」。

信じられますか。最初の頃は「誤嚥の恐れ」という理由をつけて、薬を飲まさない。最後に薬など口に入らないのに、必死で飲ます。食事まで。これらは虐待ですよ。殺しているのを面白がっているのだろ。これらは解剖に備えてのものでしょう。彼らは鬼畜ですよ。決して許さない。他の人にもしているような感じだ。もしこのまま私が引き下がれば、またほかの人にやるでしょう。とても許されることではない。

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母が殺されたので

母が殺されて、なぜか気合が入らない。T病院にカルテの開示を求めたが、また隠蔽モード。

本当にこの日本は腐りきっている。まるで魂を殺すようなこと平気でする国。三島由紀夫が憤死し、川端康成が「日本は死んだ」と言って自殺。私もよくその気持ちが分かる。

本当に母がいなくなってから、生きる張り合いがなくなった。どうでもいいような気がするし、いつ死んでもどのように死んでもいいと思う。人を殺そうが、死刑台で死のうが、私にとってはどうでもいいように思う。

本当に母の後を追って死にたい。この下らない世界にいるのを止めたいくらいだ。まっすぐに一途に生きる私のような人間にとっては、とにかくバカバカしい世界。消え入りたい。早く母のもとに行きたい。やるべきことをして…。私の残りの人生は母の供養のための人生になると思う。それだけ、もう心は動かない、何が起きても…。

テレビのニュースを見る必要がなくなったし、テレビそのものを見る必要もない。新聞も。輪廻転生なんてまっぴら。ニーチェの永劫回帰もいい。永遠に闇の中でいいと思う。生まれてこなかった方がいいと思うが、でも「僕は母さんの子供だよ」それだけは証明して死にたい。

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母親の死に方について?

これを死に方と言っていいのか分からない。母親のことを聞かれ、いろいろ話すと、ほとんどの人が、そういうことは気がつかないと言う。

確かにそうかもしれない。ほとんど多くの人は気がつかないと思う。しかし、私にはクリーンにあまりにも明確に理解できる。これはおしゃれ事件のときと、ある意味似ている。事件も似ている。

医療の正当行為のように見えて、実はそうではない。殺人行為であることである。こういうのはわかりにくいかもしれない。たとえば、サラリーマンだったら、平日に病院に見舞いに行けるだろうか。いけないかもしれない。そうすると週末には行けるかもしれない。仮に行ったとすると、先生が「誤嚥性の肺炎」と叫んでいれば、外見上ハアハアしているから、今日は苦しそうだったな、と思うかもしれない。

それで「心不全」となれば、分からないかもしれない。しかし、ちょっと注意をすれば、週末に行った時に、手が水を持っていたよな。と疑問を持てば、少しは理解できるようになるかもしれない。しかし、解剖すれば肺には水が溜まっている。「心不全」が「うっ血性心不全」となると、どう違うのか、と。

そう、手とか足などに水が溜まり、肺にたまったりすると、死んだりする人を知っているよ、などと考えれば。ではなぜ先生は腎の薬を抜いているのだ。おかしくないか?そう多くの人が気がつかないかもしれない。しかし、注意深く観察すべきだ。私は母親が殺されたことを知っている。奮闘するだけだ。多くの人が気がつかないかもしれないが、頑張るしかない。

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複数のカルテ

私が病院からカルテを開示してもらい、読んでいると疑問に思うところが多々ある。それらのひとつに、病院の相談員の方の対応だ。それでそれらのデータが確認できないか聞くと、他のカルテには書いてあるように言う。

これではまた、最初に戻ることになるのだろう。相談員は盛んにとにかく上級員と話し合っていただきたいの一点張りだ。しかし、私が持っているカルテでは、母親がどういう薬を飲まされていたのかさえ、十二分に特定できない。持参薬をどうのましたのかどうかなど、わからないことだらけだ。

それで電話したら、他のカルテには書いてあるというので、訳が分からない。とにかく話していることが、例えば先生が話していることが矛盾する。前言を翻すことは話にならない。ではどうなのかというと、前の先生がした。その人は誰かと聞くと分からない。私はしていない。しかし、カルテにはしている。では他のカルテではどうなのか。

これで話をすり合わせるというのは考えられるだろうか。また先生が6月30日で他に移動する。そうだろうなと思った。これで沖縄や北海道では隠蔽するだけでしょう。それ以後にきけば、先生に直接聞いてくださいとなるかもしれない。こういうやり方はあるのか。話のすり合わせと言っても、ヤクザみたいな人が出てきて、私らは事実がどういうことか分からないのだから、こういうことですと聞いても、他のカルテがあるなら、こちらがそうです、となる。これでどう話ができるのか。

まして母親が死ぬ直前にも私に訴えたことでも、認知症というのがカルテの途中から出てくる。こういうやり方ですよ。どう見ても母は殺されたのだろうし、加害者と被害者遺族とが、話のすり合わせをするなんて聞いたこともない。それは過失を認め責任を表明しているなら、少しは理解できる。しかし、私はこれは刑事事件だと思っている。それで話のすり合わせをしたら、後々どうなりますか。被害者側がどういう考えを持っているかを、加害者側が知ることは重要なことだと、私は思う。

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医療過誤それとも

診療過誤ともいい,医療行為一般の誤りをさす。医学知識の不足,医療技術の未熟,診療行為の全体としての疎漏さ,不適切な薬剤や医療器具の使用などが原因となる。

医療過誤の意味である。どうも母は医療過誤ではないらしい。これは誤りである。過失だと思う。もし言われれば、ジコキシンを多く投与したということか。しかし、私には過失ではないと思う。明らかに故意だと思う。

不自然な行為と物証。昭島警察の刑事は、解剖の結果を見て不審に思わないのか。まあこぐ簡単な話、病院にいて、なぜ肺に水かたまるのか、とか。それについておかしくはない、不審の点はないというなら、死亡するすぐ前に、何らかの薬を入れておくということだろう。そうすると解剖でその薬が出る。ならばおかしくないだろうと…。

私は不審に思っていた。死ぬ前々日、上の血圧が寝ていて173あった。それがその翌日には、脈は70で上が106である。呼吸数が35。死ぬ一日前にこうなる。確かに行為の完成は前々日だと思う。また脈が少なく、やるのだろうかと思ったが、意外だった。これが実は行為の完成ではないかと思う。

この日にジコキシンなどの薬が抜けるようにしたのだろうか。とにかく転院を拒否し続けるわけだ。ジコキシンを投与した翌日から、私は転院を申し出た。おかしいから。すると看護婦が「転院はダメです」と大きな強い口調で言った。このような一連の行為を知り、母親は殺されるのだろうと思った。転院させなければ、母は死ぬだろうと思った。

相談員に、あることを聞くと、顔が硬直し、険しい口調になった。転院させるはずがない。つまり殺人である。医療過誤ではない。過失ではないのだ。しかし、母のようなお年寄りがこういう死に方をしても、誰も気がつかないのか。齢だからとか、介護は大変だからとか、裁判も大変だし、母はもう帰ってこないとか。そういうあきらめのようなことを考えると、たぶん、老人が何人もこういうふうに死んでいるように思う。

これなら検死してもでない。これからもやられるだろう。今までもしてきたのかもしれない。母は口がきけなくなるようにされても、懸命に私に訴えた。これが適正な医療行為とは到底思えない。何人でも殺せる。

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母は

母の遺体が葬儀をする会場の方へ行った。もう母は家には帰ってこない。母が今回入院した時に、「よくなったら家に帰ろうね」と言うと、「うん」と母は力強く、また喜びであるかのように言った。

今回、残念ながら、このような結果になったが、わたしはますます母は殺されたのだろうという、確信を持っている。母の司法解剖(?)の結果を見て、警察は問題がないように言った。

しかし、そこが問題なのだ。解剖して何か出るかと言えば、出ないことは私も分かっていた。つまりそういうような行為なのだ。疑われないように、正当な医療行為であるかのように考えられる。

しかし、そこだ。それは母のように死期を迎えているような老人には、同じようにしているのではないか。つまり、西徳洲会病院では、これらの医療行為を全体として正しいとして考えているのだろうか?奇妙だ。

私は母が間違いなく殺されたという物証を持っている。それについて刑事さんに訴えたのだが、聞いてくれない。これらの事実関係をどうすればいいのだろう。私が考えていることが正しいと思うのだが、たとえば、このサイトにあげるべきか、あるいは他にサイトを作るべきなのか。

私は、母親がやられたことは、今までも他のお年寄りの患者にやってきたのだろうし、母のことで医師を逮捕しなければ、またほかの老人をやるのではないかと思う。常態的であろうし、ある意味、医師は楽に死なせてやったとも言うかもしれない。

看護師さんたちは、すべての人がそうではないのかもしれない。怠惰ではあるが、なかにはこのような医療行為に賛成していないのかもしれない。私に、母が殺されたという物証を渡していることは、心の中では許せないと思っているのかもしれない。しかし、看護師は医師に逆らえない。現に「お薬のことは先生に聞いてください」と言っている。

看護師は中には医師についている人もいるだろうし、そうではなく、許せないと思っている人もいるのかもしれない。それを私に託したのだろうか?そう少し調べれば事件の確証も得られるだろう。私自身は殺人行為だと思っている。

これらのことと日本テレビおしゃれ事件とは直接は関係ない。だが正当な医療行為として見えるようにしているのかもしれない。そういうようなやり方が似ている。もちろん、切り離して考えている。それはそれ、これはこれである。だから警察も気づくべきである。なぜ気づかないのか分からない。

私が愛しているのは警察と言う組織ではない。人としてごく自然に持っている幸福感である。正しいこと、真実について生きていくことだ。正義を愛しているだけだ。困っている人、社会的弱者に同伴すること。それだけだ。

病院にもいい病院もあればそうでない病院もある。医師も、看護婦も、患者も、警察官も、アナウンサーも、タレントも、他の誰彼も、いい人もいればそうでない人もいる。間違いがあればできるだけ早く修正し、真実事実に基づいて生きていくのが人としての道であろうと思う。私だって間違いを起こすことはあるだろうし、人間誰でもそうだと思う。しかし間違いであるなら、できるだけ早く正すことだと思う。

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5月16日

5月16日、午前11時5分、ママンが死んだ。

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母は殺されるのか

今日も病院に行ってきた。今日は何かあるだろうと思った。私がそうだろうと考えると、なぜそうなるのか、分からない。私の大切な母親は、殺されるのだろうか?やはり、行くとマスク型の酸素を吸入されていた。

それで先生の方から説明を受けた。家に電話したとか言った。今日は時間をずらしていってみた。先生の説明が余りにも矛盾する。人工呼吸器をつけるかどうか聞かれた。それがどういうものか分からないので、兄弟に聞いてみた。兄はつけると言った。弟は逡巡した。結局付けることにした。姉はつけることにした。私はよく分からない。それが母にとっていいことなのか判断できない。

今日はM病院への転院ができないと、相談員から返事をもらった。それでMI病院への転院を相談しますと言っている。MI病院は消極的医療ということだった。たぶん駄目だろう。それでマスクを着けて、転院することができないようにしたのだと思います。いわゆる証拠隠滅をすることを考えているらしい。

しかし、これだけおかしいことをやられていて、母は殺されるのかもしれない。先生の説明が全く変。矛盾することを平気で言う。こうなると発覚しないように殺されるかもしれない。説明がとにかくちんぷんかんぷん。

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