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人はルーツで生きる

                        休み時間の校庭では、同級生が僕を的にしてサッカーボールを蹴ってきたこともありました。ほかにも、上履きや教科書を隠されたり、グループ決めで仲間に入れてもらえなかったり。学校が怖くなり、できるだけ存在感を消して、休み時間も教室で一人、下を向いて座っていました。

 父がいれば悩みを分かってくれたはずなのにと思い、母に対して「お母さんは日本人、どうせわからない」「何で産んだ。父親はどこにいるんだ」と乱暴な言葉で当たりました。

 この外見は、どうやっても変えられない。命を絶とうと思ったこともあります。でも、その勇気はなかった。

以下は私の意見。

これらは副島淳へのインタービューだ。肌が黒いとか、髪がちじれているとか、そういうことで差別的かもしれないが、純日本人でも、髪がちじれている人もいます。くせ毛として考えられている。肌が黒い人もいる。

差別的と考えられることも、いじめられている同じ純日本人でも、同じだと思うけど。同じように「ボッチ」になったり、「なぜ生んだんだ」という問いも、多くの子供が持つものだと思う。それらが特別淳さんだけのものだとは思わない。

肌が黒くなくても思う悩みでもあると思う。私はちじれっけの子供をうらやましいと思ったことがある。なぜなら、私の髪は、フアフアでまるで子供のようだから。こういう他人とは違うという悩みは、子供が成長していく段階で、誰でも持つようなものだと思う。こののちに社会性が要求される。その枠組みみたいな訓練の時期だ。

私は仏教とかキリスト教徒か、いろいろ考えたりします。哲学とも。しかし、結局私が人生の終わりの方で、選択したのは「ルーツ」。それも実存主義的に「ルーツ」。これ以外ないと思う。これは誰にも否定できないし、その淳さんの考え方も「ルーツ」なのだと思う。なぜそのように考えるかというのは、その人の生物学的「ルーツ」だと思う。体中の細胞から湧き上がってくる「ルーツ」。これしかない。

そういう意味において淳さんの悩みは、他の人も誰でも持っている。

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