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気が抜ける・長生き

昨日、ニュースの後で「夫婦で201歳」を見て、気が抜けてしまった。長生きのことについてなんだが、201歳はいいです。ただこの夫婦、不思議に思ったのが、午前11時から午後2時まで寝ているのですよ。昼食をとらないのでしょうか。2時になると釣りに行き、夕食の準備。

確かに100歳になるのでしょうから、それでいいかもしれない。それから横浜青葉区のコーラスとか1日1万歩とか。長生きするのはいいかもしれない。長生きのために減塩とか。

しかし、私は力が抜けた。ただ長生きするのが幸せなのか?人生が短くてもなすべきことはした人たちはいる。その人たちは不幸か?病気で苦しんでいる人も不幸か?

何をなすべきかが抜けている。こういう人たちから見れば、私などはアホ・バカの見本に違いない。自分が弾圧されることもありうるのに、そのことに力を注ぐ。誰も評価しないし、他の人にも良く分からない。

よく分からないというのは、それを報道しないというだけで…。この手のものに、ただ私は呆れるだけである。世の中のことについて多くを知る人間は、私を評価してくれるようだが、テレビべったりの人間には、分からないことなのだ。

腹を切って絶唱しても、何も伝わらない。大石内蔵助も現代では歓迎されないかもしれない。他の人間は「ほー」というばかりで、何も考えないだろう。

そんなことで、私は今日はまだ、コメは炊いたのだが食べてない。食べる気も起らない。食欲が全くない。これなら1日1食と言われている人たちと同じように、1食にするかと思う。確かに体をあまり動かさなければそれでもいいかもしれない。でも、1日1万歩なんて歩けば、そうも言ってられないだろう。

とにかく腹がすかない。食べる気力もわかない。ニュースなどもちょっと見て、止めた。普段30分もテレビを見ているのがつらいのだが、今日はそもそも見る気がしない。

以前「食べたくなければ食べなければいい」と、主治医に言われたので、「先生、そんなこと言ったら、僕は餓死しますよ」と話した。その先生も、もう亡くなっただろうが、私が健康を考える時には、この医師の教えである。だから昔の教えで古い。でも私にはいちばん気に入っているのだ。

長生きの番組で知るのは、決して命を賭けて生きてはいけないということだ。将棋でも命は取られない。マラソンしても死ぬ前に止める。どこかで命をとられないようにする。

ところが私は「特攻」だから、いつ命がとられるか分からない。何をなすべきかと考えれば、長生きをするために十字架に登れないイエスなんていないと思う。「御心のままに」だと思う。

だから身の危険は常に感じている。私を殺したい人間は沢山いると思う。メディア側とか警察とか。彼等にとって私は目の上のたん瘤。早く死ねばいいと考えているに違いない。私が死んだら、テレビ局は大喜び。警察も安堵で一杯。正義を貫く人間がいなくなると世の中は幸福になるということか?

そんなにおめでたいことなら、私はイエスのように死んでやろうと思う。十字架でも、断頭台でも、絞首刑でも、そうですかとしかいうしかない。ただ救いなのはハーバードでも忠臣蔵は人気だそうだ。外国人に期待するなんて、日本は死んだという康成がなぜか哀しい。

とにもかくにも、まず食欲が出るようにすることだ。切ったはったをするには、運動をしなければならないが、1日1食では無理だろう。

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