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家庭内暴力?!

元次官が息子を殺害したことについて、報道などを見ると、まさか本人も殺人犯になろうとは思わなかっただろうと思う。しかし、殺された息子に暴力を振るわれていて、小学校の音にうるさい、殺してやる様な言動があると、殺人におよんだのだろう。

私も自分が人を殺せるだろうかと日常的に自問している。この間、2ちゃんねるとみていると、「法が裁かなければ、自らで裁け」という発言を見た。確かにその通りだと思う。

母親が殺されていくのを、どれほど努力しても、殺されていくというこの国の隠蔽体質。警察に電話しても来ないという。現実の話は…。殺されても、病院のことは病院に話しなさい、という警察の暢気な話。

こういう社会を作っているのは、明確に隠蔽体質でしょう。だからそういうことはありえないよな、と高をくくっている。原発でもそうだろうし、今度のシーサイドラインの事故も、そうだろう。

だから、おおよそ世の中の人と私が決定的に違うものは何かといえば、これだ。私は万一の場合が、どんなことにも想定している。こういうことはというのは、常に考えるべきだと思う。

それらが隠蔽社会を作っている。この害は全ての人におよぶ。ある意味社会に起きていることについて、認識できない状況に、意図しておかれている。それは共産社会と変わらない。しかし、隠蔽社会がもっと弊害があるのは、多くの人がそれを認識しにくいことだ。

日本が隠蔽社会だということを知っていても、常日頃から、そういう考え方をしていないとできないことがある。それに引き換え共産社会は、情報統制をすることを、国民が知っている。そういう意味においては、日本のような隠蔽社会より進んでいるといってよい。日本の場合のような自主規制をするというのは、いわゆる北朝鮮社会とあまり大差はないということだ。

ただそれを多くの人が認識できないということだ。だから家庭内暴力についても、まさかそういうことはないよな、と言ってしまうと問題なのだ。

実際、我が家でも姉が、私や母親に15年以上にわたって、あらゆる機会をとらえて因縁をつけてきた。母親が病院で殺されたのだが、そのきっかけ、あるいは機会は姉が作っている。私や母がやられていたことは、ある意味「家庭内暴力」だったことを、私は元次官が殺人を起こしたことで、認識できた。よくよく考えてみると、これは家庭内暴力だ、と。

母親の右腕にできた青あざは、暴行されてできたものだというのは認識していた。しかし、それが広範囲だったので、どうしてできたのか?と不思議に思っていた。そのことについては母は何も言ってはいない。

それを息子の私に言えば、姉を怒り、それがまた母にはねかえってくることは母も知っている。だから暴力を振るわれても、私に言えないのだ。言えば自分がやられる。

こういうのも暴力だよ、というのを元次官の事件から、認識できた。これも実際は隠蔽社会によって、私が上手く対処できなかったのである。もしもっと早く認識していれば、やりようがあっただろう。

母のことについてもそうだ。解剖をすり抜ける方法を使用しているので、母が犠牲になる以前に、他の人にもしているはずだ。それに気がつかない遺族もいるだろう。あるいは母のように警察が動かない場合もあるだろう。つまり、それで犠牲者は増えるのだ。

救える命も救えなくなる。それに加担しているのが隠蔽メディアの日本の報道機関だ。自分に起きなければいい。人のことなど放っておけばいい、ということだろう。それが回り回って、自分の子供が殺されることにもなるのだろう。あるいは自分が。

それでも関係ないというなら、心を失うことだろう。そうしなさい。

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