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登戸殺傷事件

「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ぬべき」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」というメッセージを受け取った犯人と同様の想いを持つ人物は、これらの言葉から何を受け取るだろうか。
やはり社会は何もしてくれないし、という想いを募らせるかもしれない。
そのためにも、社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時だと思う。

「死にたいなら、自分だけ死ねばいい」というのは、今日のテレビでも発言されていた。つまりはそういうようなことが殺人事件を生んでいるのが分からないのかもしれない。

犯人に対して、私は深く同情している。今は事件の状況がよく分からないが、細かいことは言えない。ただ言えることは、多くの刺された子供が女児だったそうだ。その点については、犯人の人生を深く考察しなければ分からないことも出てくると思う。ただ私が思うに、かわいらしい女児を殺すということにおよんだのは、偶然なのか計画的なのか、相当の覚悟がなければできないことだ。

殺人をすることは大変な事。「歎異抄」には、人間の存在そのものがとても罪深く、明日にも人を殺すかもしれない存在であることが言われている。そうであったにしても、その行動をとることは大変なことだ。何をどう考えてしたのか?

だから、私は今日ももここで批判するのは、テレビや民放である。こういう社会を作っていることに対する最も重い責任があるのは彼等である。死にたければ自分でというのも、今日放送された。とにかくこういう事件が起きると、テレビなどは、一斉に犯人を批判したり、自分がいい人間であるかのように装う。批判することによって自分が善人になるという構図だ。

これは聖書でも、石を投げよというイエスに、誰も投げなかった。私たち日本人は、聖書に書かれていることについても、学べないのか。私はこの人に石を投げない。犯人には、どれほど煩悶し、苦しい思いをしたことかと同情する。苦しかったでしょうね。

それにも比べて刺された人・女児には、怖い思いをしただろうことが、計り知れない。私も母親を病院で殺されたと言っています。それでも今日のような事件が起きたときにも、日テレなどは笑っています。結局腹の中の彼らはそうなんでしょう。そういう人しかテレビ局には集まらないような気もします。有名になりたいとか、お金持ちになりたいとか、そういう考えは、堅実な人生を選択したいという考えを呼び込まないのではないかと思う。

以前、ニュースステーションで久米宏が、司会をしていたときには、大きなニュースが起きると、力の入れようから違いました。たぶん腹の中では喜んでいたのでしょう。視聴率は上がりますし、自身が注目されます。また抱えている問題から目をそらす意味においても、大きな事件は歓迎したはずです。

ただ、ニュースの本質から考えると、もっと問題なのは、こういう事件が起きると、それを報道する、あるいは放送するテレビで、実に沢山の推察でものを言うことが、多くなる。こういうのがなぜ放送されるのかは、テレビの放送基準があまりにもいい加減すぎるということではないか。根拠がないものが多い。

それらでいちばん覚えているのが「酒鬼薔薇」事件だ。この時に「酒・鬼・薔薇」とインターネットの画面に、つまり、パソコンに真っ赤に出たような発言したことがある。それでそのサイトは、と質問すると「分かりません」という答え。普通それが出るとすると履歴に残るだろうし、検索にも残るに違いない。それが分からないというのに、それをテレビで流す。

つまり、依然としてその域を抜け出してはいないのだと思う。これら推察でものを言うのを、元警察関係者などがいうものだから、私はバカバカしくてしょうがない。現役の頃は、あんなふうにしてただ推定で物事を考えて捜査していたのかと思うと、唖然とする。だから冤罪が今も続くのだろうと思う。元警察関係者は、できればテレビの出演しないでもらいたい。

推定で捜査されたらたまらない。私の超音波盗聴も推定ですよ。こういうことなのだろうという、捜査側の勝手な考え。テレビ側に騙されていようが、私には関係ないと思うが、盗聴機を向ければ、そうはいかない。

もし犯人が、こういうような欺瞞に満ちた現代社会を憎悪していたとしたら、嘘を吐き出しているテレビ局などが元凶と言えると思う。嘘や虚妄でできている社会を、批判してはいけないのか?子供たちの犠牲は、何の為なのか分からない。

不登校が何十万人。いじめ。自殺。こういうようなことが私たちが子供だった頃には、報道されなかったこともあるだろうが、ほとんどなかったことは、どうするのだ。社会は何らかの形で、劣化しているということだと思う。計り知れないほど。これはテレビ以外に考えられない。より良い社会を作り出すためにテレビはあるはずなのに、逆になっている。それも民主主義が発芽していないために…。

これを書いている私が母親が殺されたという苦しみの中から1年以上たっても抜け出せないのだ。そういう人間が書いているものとして読んで欲しい。犯人を許せないと思うのは当たり前だ。しかしそれ以上に登戸事件と徳洲会事件とは本質的に違う。ご冥福を祈ります。

 

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