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自律神経と怒り

ここのところ不整脈が何日か続いた。変に思っていたが、昨日カレーを食べた。すると不整脈が全く起きなかった。ところが母のことを思い出し、医師らに対する怒りがわいてくる。これはもう下手をすると怒りで、自分が死んでしまいそう。

確かに、時々不思議に思うことに、とてつもない被害を受けた人が自殺をしてしまうことがある。たぶん絶望から鬱になり、どうしょうもなく自殺をするのだと思う。やり場のない怒りをどうすれば解消できるか、誰にも分からないだろう。

そういう人はたくさんいるに違いない。なにしろ圧力なべの中の日本だ。でも、最近は自動車事故で死んだ人でも、事実関係ははっきりしているから、ある意味楽だよな、と思ってしまう。母親が100歳を超えて、大往生してくれたら、どんなに私は神に感謝しただろう。

そうしたらいろいろな本を読んで、余生を過ごそうと思っていた。ところが、それがあっという間に吹っ飛んだ。母親を殺されて、その上自分の人生をめちゃめちゃにされた。余生も何もない。好きな本を存分に読んでなんてことは、もはやできない。

それに対する怒りが、医師らに対する怒りが、これは一生なくならないだろう。こういうストレスを抱えていれば、怒りで自律神経もおかしくなるだろう。脈がおかしくなっても当たり前かもしれない。

事実関係が分かっている死なら、あきらめもつこう。しかし、その後ろにある社会性なるものが存在する。闇がある。ということについては、向かっていくしかない。バカバカしいが、誰かがやるだろうなどとは、考えてはならない。

ただ、母の死は、母だけではないことはおおよそ理解している。でなければ、病院に行った時、あれほどおかしいと感じたことはないだろう。これは他の人によるものだろう。だから、都知事が5千万だかをもらっていたのも、そういうことだろう。

裏ではどんな人間が金で動いているかしれない。記者らも金であることは、誰でも知っている。スクープのない社会・日本において暮らしていくことは、大変なストレスになることもある。これは結局実力社会ではないということだ。

最近特に感じているのは、弁護士に相談するということはどういうことなのか、ということだ。たとえば、相談する。私がいつも違和感を感じるのは、お金を出して、その人たちの法律の解釈を聞いていてもしょうがないということだ。

いつまでそんなことをしているのだ、と思ってしまう。何か勘違いしてないか?法律の解釈は、今では六法を見れば簡単にわかるし、ネット検索でもわかる。人によってある程度解釈が違っていても、相談する方は変わらない。

現実の話をしているのに、解釈のことばかり口にする。私はそんなことを聞きに来ているのではないですよ、と思わず言いたくなるでしょう。それで人によっては暴言は吐くし、パワハラもする。バカバカしいでしょう。

特に私のような人間は、確実なものしか受け入れない。誰がこう言ったから、こうだ、なんて答えはない。客観的な証拠がなければならない。第三者的な目がなければならない。こういうのって、法律の解釈ではないのですよ。哲学ですよ。現実にものを考えなければ、話にならないでしょう。

怒りはまた大きくなり、ゆっくり眠ることも難しい。特に夜中にトイレに起きるのがつらい。エアコンも入れないので、寒いところに行くので、体が冷え、再び寝入るのが大変。考えないようにするのが大変難しい。至難の業だ。それで自律神経が興奮する。

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