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とにかく年の暮れ

とにかく年の暮れだ。今年は何もかもおかしかった。いちばんは母親が殺されたこと。それで私の人生設計も大きく考え直さなければならなくなった。少しは進んでいるのだろうが、やはり、母のベッドのそばで私がいちばん母を見ていた。だから、母のことは一番知っている。そう思いいろいろ考えるが、思うようにいかない。

ここで相続の「申立書」が送られてきた。中身を読むと、大体のアバウトに書いてある。こんなもので調停が始まるかと思うと、何なのだと思う。見ればわかるだろ、子供なんだから遺産を寄こせと。

兄は放棄した。兄は私と性格が似ている。おかしなことは言わない。名誉も重んじる。孫が6人いる。

姉と弟が寄こせと言っている。弁護士に話をしたが、どうも要領を得ない。いわゆる団栗の背比べしか言わない。それしか頭にないのか。それともサラリーマン家庭で、母親がすべての実権を握っていて、それで死亡したとでもいうのか。

こういう状況でしたと言っても理解しない。それで受任できないというので、そうですかと返事した。いまから弁護士を探しても見つからないだろうし、そうしても意味があるのか。法律的にも紋切り型しか考えられないのなら、裁判所などいらない。

法律の解釈などを聞いてもしょうがない。それは裁判所でやることでしょと言っても、法律ではそうだと。それで全く逆の判例を教えてあげた。母親が死亡し、娘2人が一銭ももらえなかったケースだ。この時は母親が死亡し、娘が2人で山分けでもしたのかもしれない。しかし、結果は赤の他人がすべての遺産を相続した。

法律や裁判はこういうものだと思うし、本にこう書いてあるからこうだというのは、ある意味誰も当てはまらないのではないか。様々な人生をたった一つのやり方に当てはめていたら、社会が成り立たない。

3人でやるのだから、3分割すればいいというなら、裁判所はいらないし、そういうことならすべての自営業者は一代でつぶれるはずだ。それがさまざまな形で、企業の成長をそぐことになる。まずそうなれば社会が混乱し、平安が保てない。続く企業などない。

こういうことを法律ではと、いろいろ言われても話にならない。

気になるのは相談する部屋には監視カメラがある。テープもとっているという。事務所に入るのも厳重だ。こう考えると、いろいろな人が、そういう恐れがあるということかもしれない。

そこで私は言った。これは相談者の方の問題だろうか。例としてこう私は言った。女性と女性が結婚したいと相談に訪れたらどうしますか。婚姻は男女のものです。法律ではそうです、というらしい。しかし、弁護士さんはまずもって相談に訪れた人の話をよく聞き、その人にどのように同伴できるかではないかと思う。

これ以上はやめよう。そんなことで私は、本人訴訟をしなければならないかもしれない。いろいろ大目に見てもらって、本人訴訟の勉強をし、前に進めればいいと思う。母親のことについても、結局は自分だと思った。

ここで体調を崩している。不整脈が起きている。母が殺され、自分が暖かい部屋や、おいしいものを食べてるわけにはいかないので、とにかく粗末であり、こたつも今夜起こした。こう考えると、本当に尾畑春夫さんは偉いと思う。なかなかできないことだ。被災者に同伴すること。食べる者も寝るものも。普通の人間にはできない。

私も母の苦しみを思い出すと寝ていられない。不整脈が起きても、母はジコキシンで2,30の徐脈になっていた。ボケてないので、注射でなったことの自覚はあっただろう。殺されていったことも自覚していたはずだ。私が必死になって転院を求めたが、誰も助けてはくれなかった。

母の命を救うには、それこそ包丁を振り回すしかなかっただろう。しかし、そうしてもこの国ではすべて隠蔽し、何事もなかったように静かだろう。遠藤周作の作品を思い出す。日本という国は本当に恐ろしい国だ。

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