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医師の性差別

順天堂大医学部が、女子と浪人生を不利に扱い、合格ラインに達していた受験生を不合格にしていた。今年と去年で165人に上る。面接を行う2次試験の評価では男女で異なる合格ラインを設定していた。 驚くべきは、その理由だ。「女子はコミュニケーション能力が高いため、補正する必要がある」「20歳を過ぎると差がなくなるというデータがあり、男子学生を救う発想だった」というものだ。

順大は、文部科学省の調査に対し不正を否定し、調査に当たった第三者委員会にも、性差を正当化するような学術論文を提出したという。医学部1年生は全員寮生活を送る。順大は、女子寮の収容能力の限界も女子合格者抑制の理由に挙げたが、新たな寮の完成後も、判定基準は変わらなかった。

「女子はコミュニケーション能力が高いから、補正する必要がある」とか「女子寮の収容能力の限界」など、ほとんど「話のすり合わせ」の最たるものだ。

これって、女子のコミュ力というのは、面接をしたときに男性の面接官が思わず、その女性の魅力に惹かれてしまうということなのだろうか。だったらいいではないか、と思う。

だいたい医者の能力と性別というのは全く関係ないではないか。母親の介護をしてつくづく思うことは、やはり誠意を尽くしてくれ、丁寧に診てくれる先生だと思う。それは性別とは関係がない。男性医師の方がいいと言っても、女性は結婚して育児をするからというが、逆に私は、そういう人の方が患者にとってはいい医者になるのではないかと思う。

特に医者であるということは、家庭でどうあるべきかではない。患者にどう接するかである。女性の方がきめの細かいこともあるし、あの病院の女医さんが活躍していて持っているんだと聞いたこともある。その女医先生が、何らかの理由でいなくなって、その病院の患者が少なくなったとも。

やはり誠実で、患者の言うことをよく聞いてくれ、体に合った薬を出してくれる医者がいちばんだと思う。それが母親の場合は、北原さんの薬だった。なにしろ相当長い期間懸念していた不整脈をほとんど出ないように、気にならないようにしてくれたのが、北原さんだった。

だから、私は母の不整脈が起きた時に、「北原さんの薬を飲ませてください」と懇請したのである。それに対しT病院では、そういう私に反発したのかもしれない。それが気に入らなかったのだろう。それで北原の薬を飲ませても、部分的に抜いて、それを補うように逆のことをしてみたのだろう。それで釣り合いが取れるとでも思ったのか、そうした。

私に何の説明もなく、もし私が他の人たちのように「先生にお任せすれば」とか「だいじょうぶだろ」という感覚を持っていたらどうだろう。たぶんジコキシンを過剰に打ったことも気がつかないのではないかと思う。私も一時「病院なんだから」とか「先生だから、大丈夫だろ。ちゃんとやっているだろう」と思って信頼した。それはモニターを見て、「ああ北原さんの薬を飲ませているのだろう。これなら2,3日後には退院できるだろう」と。

ところが違った。母親が病院から私が帰るときに「帰らないで」と言っているのを聞いている。それはカルテにも嘲笑的に書いてあるが、その時は不審には思ったが、それが母親の悲鳴のひとつだったとは気がつかなかった。母親はそこまで私を信頼していたのである。

今まで母が常に急に悪くなった時には、夜中に何度も病院に車で行き、点滴をしたり、しのいできた。母親は私の側がいちばん安心できる場所だったということは、以前から知っていた。だから私に「買い物にも行かないでくれ」と言った。ズーと側にいてくれと。

母は、その時すでに何らかの心臓の異常を感じていたのだと思う。私のいないときに、医師あるいは看護師が来て、注射を打たれ、自分の心臓の鼓動がおかしくなっていたのを知っていたのだ。ただ母は、あまりそういうことをうまく言えない。なにぶん尋常小学校しか出ていないのだから、それでも自分の感情を表現するのが上手くない。それが「いざ」となったときにどうなのか、私は心配していた。ボケていない母が、看護師らにそうみられていたのも、そういう理由による。ボケているのではなくて、表現するのが上手くないのだ。

だから私がいないときに、医師らにそうされ、心臓の鼓動がおかしくなった時に、母は母なりに私に知らせていたのだろう。それも相当苦しければ、言葉も見つけにくいだろう。死に対して極端に怖がっていた母が、相当虐待された。存分に死の恐怖を味合わされたのだ。その翌日にも「苦しい、苦しい、死んじゃう死んじゃう」と言った。私は今まで母親から聞いたことのない言葉を聞いた。「死んじゃう」とはどういうことなのか?

つまり、ジコキシン中毒になる前2日間に、母は悲鳴を上げていたのだ。しかし、私はまさか、このようなジコキシンを注射しているとは思ってもいなかった。その翌日には母は2,30の極端な徐脈になっていた。母親の容体の極端の変化に私は気がついたが、ジコキシンを打ったと聞いた時は、本当に驚いた。いったいこの医師らは何をしているのかと。

母親が「死んじゃう」と悲鳴を上げているのに、またジコキシンを打っているのである。極端な徐脈になるまで続けたようだ。しかし、カルテが事実そのままに書いているわけではないことを発見した私は、これは殺人以外のなにものではないと思った。

その夜に私はいろいろのところに電話し、母を転院させるべく努力をした。しかし、その一つでは、私がこういっていると病院の医師らに通報した。そして私が転院を申し出ると、看護婦長は「転院はダメです」と怒声で叫んだ。私は「こいつらは母親を殺すつもりだ」と認識した。110番することも考えたが、ダメだろうと思った。日本の警察は民主主義ではない。私が逮捕監禁を訴えても、こないだろう。

それは母の死亡後に110番すると、警察の電話は「病院のことは病院に言いなさい」と、のんきな返事が返ってきた。さしずめ母親が死亡するというので、息子が動揺しているとでもいうのだろう。これが日本という国だ。「話のすり合わせ」というものがいかに深刻な病であるか分かると思う。

いま思えば、母親の命を救うには、一計を案じて救急車を呼び、刃物でも振り回すしか母親の命を助けることはできなかっただろう。それも転院をさせないと分かった時に、どうするか考えた。それしかないのではないかと思った。恐ろしい国である。

いまも母が最後に家にいた時に座っていた籐椅子が私の横にある。入院してもジコキシンを打たれる前まで元気だった母の面影がちらつく。そして2日もしないうちに母に異変が起きていた。

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