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治った…風邪だったのか?

ここのところで不整脈が起きていたり、頭がなんとなく変だった。それで風邪でも引いたのかと思い、薬を飲んだところ、1回飲んで快癒である。なんともない。風邪だったんだ、医者には齢を取るとだんだんなると言われたが、そうではなかった。

それで「準備書面1」なるものが、だいたい出来上がった。売られた申立書が、だいたいで書かれていて、具体性がない。それはそれでいいが、私の方は、より具体的に主張するつもりだ。年初めにはできるだろう。

これらを通じて裁判のことを独学で勉強していくことができればいい。自己に誠実に生きるためには、それしかないのか。自らの主張を曲げては、事実を見失う恐れがある。それはいけない。私は真実・事実に生きる。それが実存主義の生き方である。

母が殺されたことをいろいろ考えても、警察が言うように「カルテを専門家に見てもらったが、問題ない」と言っていた、という。しかし、捏造されたカルテをどう見ても、問題だろ。それが問題ないというなら、やはり問題だと思う。

その事実関係を私が「ここに物証があります」と言っても、警察は見ない。私はカルテの裏をとった。書かれていることの精度がどれくらいなのかが理解できるだろう。たとえば、姉が話している事実関係が違う。Aが書かれているなら、当然Bが書かれているはずなのに、書いてない。なぜなのか?

ほぼだいたい取れているが、他のことで忙しい。来年の2,3月になれば、目鼻ができるだろう。警察やそのほかの人間がちゃんとやらなければ、サイトはどうするかまだ決めてないが、ネットに出すことも考えている。その場合本名である。カルテも出すだろう。医師の名前も出すだろう。他の医師はどうするか?彼らが事実関係で、ちゃんと責任を取らなければ、出すこともある。

私は嘘は書いてはいない。訪問者に検索してもらい、私が事実を述べていることを知ってもらうつもりだ。どういうふうに事実関係を詰めていくのか、「おしゃれ事件」のように知ることができるだろう。これらは私の母親だけの問題ではない。公共性のあることだ。一歩も引くつもりはない。

私が「おしゃれ事件」と同じように、巨大な事件を再び見破ったことは、どういうことなのか私にも分からない。他の人には、どうも組織や人間の動きがよく分からないのか、ごく普通の小さなものに見えるらしい。大きいか小さいかそれは、彼らが決めることだ。私はすでに大きなものを知っている。

私は映画「砂の器」の丹波哲郎なんだろうか?真似してみても、母を殺した人間たちに対する怒りが、決して途切れることなく、ふつふつと湧いてくるだけである。「やってやる」という決心だけが、ばんばんびんびんだ。

そういえば、今年は「忠臣蔵」はテレビなどではやらなかったのか?注意していたのだが、見れなかった。武士道だ。バンバンビンビンだ。

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