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2018年12月

治った…風邪だったのか?

ここのところで不整脈が起きていたり、頭がなんとなく変だった。それで風邪でも引いたのかと思い、薬を飲んだところ、1回飲んで快癒である。なんともない。風邪だったんだ、医者には齢を取るとだんだんなると言われたが、そうではなかった。

それで「準備書面1」なるものが、だいたい出来上がった。売られた申立書が、だいたいで書かれていて、具体性がない。それはそれでいいが、私の方は、より具体的に主張するつもりだ。年初めにはできるだろう。

これらを通じて裁判のことを独学で勉強していくことができればいい。自己に誠実に生きるためには、それしかないのか。自らの主張を曲げては、事実を見失う恐れがある。それはいけない。私は真実・事実に生きる。それが実存主義の生き方である。

母が殺されたことをいろいろ考えても、警察が言うように「カルテを専門家に見てもらったが、問題ない」と言っていた、という。しかし、捏造されたカルテをどう見ても、問題だろ。それが問題ないというなら、やはり問題だと思う。

その事実関係を私が「ここに物証があります」と言っても、警察は見ない。私はカルテの裏をとった。書かれていることの精度がどれくらいなのかが理解できるだろう。たとえば、姉が話している事実関係が違う。Aが書かれているなら、当然Bが書かれているはずなのに、書いてない。なぜなのか?

ほぼだいたい取れているが、他のことで忙しい。来年の2,3月になれば、目鼻ができるだろう。警察やそのほかの人間がちゃんとやらなければ、サイトはどうするかまだ決めてないが、ネットに出すことも考えている。その場合本名である。カルテも出すだろう。医師の名前も出すだろう。他の医師はどうするか?彼らが事実関係で、ちゃんと責任を取らなければ、出すこともある。

私は嘘は書いてはいない。訪問者に検索してもらい、私が事実を述べていることを知ってもらうつもりだ。どういうふうに事実関係を詰めていくのか、「おしゃれ事件」のように知ることができるだろう。これらは私の母親だけの問題ではない。公共性のあることだ。一歩も引くつもりはない。

私が「おしゃれ事件」と同じように、巨大な事件を再び見破ったことは、どういうことなのか私にも分からない。他の人には、どうも組織や人間の動きがよく分からないのか、ごく普通の小さなものに見えるらしい。大きいか小さいかそれは、彼らが決めることだ。私はすでに大きなものを知っている。

私は映画「砂の器」の丹波哲郎なんだろうか?真似してみても、母を殺した人間たちに対する怒りが、決して途切れることなく、ふつふつと湧いてくるだけである。「やってやる」という決心だけが、ばんばんびんびんだ。

そういえば、今年は「忠臣蔵」はテレビなどではやらなかったのか?注意していたのだが、見れなかった。武士道だ。バンバンビンビンだ。

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どうするのか医師らは

どうするのか?もうこれ以上前には進めないだろ。見切り発車か?どうした?匿名の電話を昭島署にしなくていいのか?

ある日突然逮捕されるかもしれんぞ。来年は眠れない年になりそうだな。来年の5月16日は母親が殺されてから1周忌だ。早くしないと大変だぞ。

他の医師らに迷惑をかけたくないのなら、早く自首したほうがいい。いまもしているのか?私が忙しいことで、少しは寿命が延びているのか?

とにかく母親のことでは、大変いろいろな問題が噴出している。どうするんだこれらは?

大丈夫?とてつもない事件は「おしゃれ事件」と同じで、権力が隠蔽してくれるか?

日本は安全なんです。治安はいいのです。むふ。事件があっても報道しない日本。安全なんだそうだ。

つい最近、日光で外国の女性が行方不明になったと、それで事故にあったかもしれませんと報道し、警察が浅瀬の川をかき回していました。確かにこれだけ安全だと放送しているのだから、呆れる。

誰かに拉致されたのだろう。まさかそれが北朝鮮ということなのか?またか?そうなの?そういうことが起きるということは、どこの国にもあることかもしれない。

しかし、日本の恐ろしさは、それで安全な日本をアピールしているということです。日本はとても危険です。恐ろしい国です。

母親なんか、カルテの捏造だよ。それをみて専門家は問題ないと。これはもう笑うしかない。捏造カルテが問題ないなら、捏造の事実があるということは、殺人か?決定!!この野郎!!

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韓国国防省は28日、日本が公開した映像は火器管制レーダー照射の「客観的証拠とは見なせない」と主張し
「一方的な内容の映像を公開し事実関係をごまかしていることに対し改めて遺憾を表明する」と強調した。

これにはびっくり。とにかく韓国軍が統制がとれていないのだろう。単なるごまかしでしかない。まるで久米楠田の「日本テレビおしゃれ事件」だ。韓国の弁解なども久米楠田に似ている。以前からそう思っていた。ペテン。

それからもう一つが、どうしても過去の記憶の整理ができないらしい。未来構築というがどうするというのか。過去の問題が、これほど越えられない韓国とどう付き合うかだ。

 

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とにかく年の暮れ

とにかく年の暮れだ。今年は何もかもおかしかった。いちばんは母親が殺されたこと。それで私の人生設計も大きく考え直さなければならなくなった。少しは進んでいるのだろうが、やはり、母のベッドのそばで私がいちばん母を見ていた。だから、母のことは一番知っている。そう思いいろいろ考えるが、思うようにいかない。

ここで相続の「申立書」が送られてきた。中身を読むと、大体のアバウトに書いてある。こんなもので調停が始まるかと思うと、何なのだと思う。見ればわかるだろ、子供なんだから遺産を寄こせと。

兄は放棄した。兄は私と性格が似ている。おかしなことは言わない。名誉も重んじる。孫が6人いる。

姉と弟が寄こせと言っている。弁護士に話をしたが、どうも要領を得ない。いわゆる団栗の背比べしか言わない。それしか頭にないのか。それともサラリーマン家庭で、母親がすべての実権を握っていて、それで死亡したとでもいうのか。

こういう状況でしたと言っても理解しない。それで受任できないというので、そうですかと返事した。いまから弁護士を探しても見つからないだろうし、そうしても意味があるのか。法律的にも紋切り型しか考えられないのなら、裁判所などいらない。

法律の解釈などを聞いてもしょうがない。それは裁判所でやることでしょと言っても、法律ではそうだと。それで全く逆の判例を教えてあげた。母親が死亡し、娘2人が一銭ももらえなかったケースだ。この時は母親が死亡し、娘が2人で山分けでもしたのかもしれない。しかし、結果は赤の他人がすべての遺産を相続した。

法律や裁判はこういうものだと思うし、本にこう書いてあるからこうだというのは、ある意味誰も当てはまらないのではないか。様々な人生をたった一つのやり方に当てはめていたら、社会が成り立たない。

3人でやるのだから、3分割すればいいというなら、裁判所はいらないし、そういうことならすべての自営業者は一代でつぶれるはずだ。それがさまざまな形で、企業の成長をそぐことになる。まずそうなれば社会が混乱し、平安が保てない。続く企業などない。

こういうことを法律ではと、いろいろ言われても話にならない。

気になるのは相談する部屋には監視カメラがある。テープもとっているという。事務所に入るのも厳重だ。こう考えると、いろいろな人が、そういう恐れがあるということかもしれない。

そこで私は言った。これは相談者の方の問題だろうか。例としてこう私は言った。女性と女性が結婚したいと相談に訪れたらどうしますか。婚姻は男女のものです。法律ではそうです、というらしい。しかし、弁護士さんはまずもって相談に訪れた人の話をよく聞き、その人にどのように同伴できるかではないかと思う。

これ以上はやめよう。そんなことで私は、本人訴訟をしなければならないかもしれない。いろいろ大目に見てもらって、本人訴訟の勉強をし、前に進めればいいと思う。母親のことについても、結局は自分だと思った。

ここで体調を崩している。不整脈が起きている。母が殺され、自分が暖かい部屋や、おいしいものを食べてるわけにはいかないので、とにかく粗末であり、こたつも今夜起こした。こう考えると、本当に尾畑春夫さんは偉いと思う。なかなかできないことだ。被災者に同伴すること。食べる者も寝るものも。普通の人間にはできない。

私も母の苦しみを思い出すと寝ていられない。不整脈が起きても、母はジコキシンで2,30の徐脈になっていた。ボケてないので、注射でなったことの自覚はあっただろう。殺されていったことも自覚していたはずだ。私が必死になって転院を求めたが、誰も助けてはくれなかった。

母の命を救うには、それこそ包丁を振り回すしかなかっただろう。しかし、そうしてもこの国ではすべて隠蔽し、何事もなかったように静かだろう。遠藤周作の作品を思い出す。日本という国は本当に恐ろしい国だ。

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高輪ゲートウェイ2

JR東日本広報部は「ことし6月、駅名を募集し始めたときからお伝えしていたとおり、応募数で決めるのではなく、応募されたすべての駅名を参考にして新しい駅にふさわしい名前を選考しました。  高輪という歴史のある場所で、昔から玄関口であったことや過去と未来をつなぐ、日本と海外を結ぶ、それに人と人を結ぶ玄関口の意味を込めたいという思いで、『高輪ゲートウェイ』に決まりました。

この選考方法は変だ。応募させといて、少なくとも上位のものが選ばれるべきである。なぜなら「高輪ゲートウェイ」というなら、それを応募した人は誰なのか。130位ということなら、そんなに多くはないはず。その中に有力者が入っていないのか?

選考方法が明らかにおかしい。特に地名あるいは駅名というのは、できるだけ覚えやすいものがいい。若者に人気の町は「新宿」「渋谷」「新橋」「六本木」「池袋」「神田」「秋葉原」「四谷」「お茶の水」「青山」「原宿」。みんなこんなもの。

奇をてらったものはよくない。「高輪」でそのままでいいではないか。これでは演歌歌手泣かせだよ。どうすんだよ(´;ω;`)。歌いにくいのに愛されないだろ。選考方法をもっと透明にしたらいいと思う。みんなが使う名前なんだから、皆が選んだものがいちばんいいに決まってます。多い票が一番有利だけど、組織票もあるかもしれない。それを考えると、上位のものからというのが、順当と思える。

「高輪」に賛成する。

 

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外国人実習生の異常な死

法務省は、日本で働きながら技術を学ぶ外国人技能実習生らが平成22年から去年までの8年間で、合わせて174人死亡していたことを明らかにしました。 出席した議員からは「外国人の命を軽く見ているのではないか」、「実態を把握するために、具体的な資料を出すべきだ」といった意見が相次ぎました。

法務省から外国人実習生の実態が明らかになった。このニュースを見て、あまりにも異常であると多くの人が認識するはずである。というのも実習生の多くが若い人たちであろうと思う。にもかかわらず、死病者が多いいと思う。

死亡の原因には、自殺や凍死がある。自殺は日本にきて孤立している姿が浮かび上がる。誰も日本では助けることができないのであろう。ここには実習生として受け入れてはいるが、その生活に深く関わることをしない実態がある。難しい問題だと思う。

外国の人と付き合い方なども他国との習慣の違いからくるものもあると思う。日本人にはごく普通に見えることでも、実習生には過酷なこともあると思う。自殺は絶望して死を選んだのだろう。その陰には暗躍するブローカーの存在が指摘されてもいる。

しかし、特にニュースなどで取り上げられなかったのだろうか、「凍死」である。これには私も愕然とした。今どき働いている環境で「凍死」。こんなことがあるのだろうか。災害の避難者がエコノミー症候群で死亡したとか、それなりの考えられる理由がある。

しかし「凍死」は分からない。どんなに想像力をめぐらしても、どうしてそうなったのか?冬山に登った訳ではないだろう。ごく日常に存在する「凍死」だろう。しかも、それを警察は調べないのか?これは事故なのだろうか?しかし従業員が「凍死」なら、警察は、これをどう処理したのだろうか?

またニュースになぜならないのか?この日本社会の無関心さは不気味だ。食べ物やパンダや日常のどうでもいいようなことは、ワイドショウでもやるだろう。だが、こういうたいへん異常な死に対し、何も報道されてはいないのだろう。これが異常である。信じられない異常さだ。

逃げることもできなかったのか?人によっては大変な借金を負って日本に来るという。それで日本から逃げることもできない。「凍死」した実習生が、何を思い、寒い室内あるいは寝具にくるまり、寝ていたのだろうか。楽しかった祖国の幼い頃の思い出が去来しただろうか。恋人だろうか母だろうか、胸に去来した思いは何だろう…。

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医師の性差別

順天堂大医学部が、女子と浪人生を不利に扱い、合格ラインに達していた受験生を不合格にしていた。今年と去年で165人に上る。面接を行う2次試験の評価では男女で異なる合格ラインを設定していた。 驚くべきは、その理由だ。「女子はコミュニケーション能力が高いため、補正する必要がある」「20歳を過ぎると差がなくなるというデータがあり、男子学生を救う発想だった」というものだ。

順大は、文部科学省の調査に対し不正を否定し、調査に当たった第三者委員会にも、性差を正当化するような学術論文を提出したという。医学部1年生は全員寮生活を送る。順大は、女子寮の収容能力の限界も女子合格者抑制の理由に挙げたが、新たな寮の完成後も、判定基準は変わらなかった。

「女子はコミュニケーション能力が高いから、補正する必要がある」とか「女子寮の収容能力の限界」など、ほとんど「話のすり合わせ」の最たるものだ。

これって、女子のコミュ力というのは、面接をしたときに男性の面接官が思わず、その女性の魅力に惹かれてしまうということなのだろうか。だったらいいではないか、と思う。

だいたい医者の能力と性別というのは全く関係ないではないか。母親の介護をしてつくづく思うことは、やはり誠意を尽くしてくれ、丁寧に診てくれる先生だと思う。それは性別とは関係がない。男性医師の方がいいと言っても、女性は結婚して育児をするからというが、逆に私は、そういう人の方が患者にとってはいい医者になるのではないかと思う。

特に医者であるということは、家庭でどうあるべきかではない。患者にどう接するかである。女性の方がきめの細かいこともあるし、あの病院の女医さんが活躍していて持っているんだと聞いたこともある。その女医先生が、何らかの理由でいなくなって、その病院の患者が少なくなったとも。

やはり誠実で、患者の言うことをよく聞いてくれ、体に合った薬を出してくれる医者がいちばんだと思う。それが母親の場合は、北原さんの薬だった。なにしろ相当長い期間懸念していた不整脈をほとんど出ないように、気にならないようにしてくれたのが、北原さんだった。

だから、私は母の不整脈が起きた時に、「北原さんの薬を飲ませてください」と懇請したのである。それに対しT病院では、そういう私に反発したのかもしれない。それが気に入らなかったのだろう。それで北原の薬を飲ませても、部分的に抜いて、それを補うように逆のことをしてみたのだろう。それで釣り合いが取れるとでも思ったのか、そうした。

私に何の説明もなく、もし私が他の人たちのように「先生にお任せすれば」とか「だいじょうぶだろ」という感覚を持っていたらどうだろう。たぶんジコキシンを過剰に打ったことも気がつかないのではないかと思う。私も一時「病院なんだから」とか「先生だから、大丈夫だろ。ちゃんとやっているだろう」と思って信頼した。それはモニターを見て、「ああ北原さんの薬を飲ませているのだろう。これなら2,3日後には退院できるだろう」と。

ところが違った。母親が病院から私が帰るときに「帰らないで」と言っているのを聞いている。それはカルテにも嘲笑的に書いてあるが、その時は不審には思ったが、それが母親の悲鳴のひとつだったとは気がつかなかった。母親はそこまで私を信頼していたのである。

今まで母が常に急に悪くなった時には、夜中に何度も病院に車で行き、点滴をしたり、しのいできた。母親は私の側がいちばん安心できる場所だったということは、以前から知っていた。だから私に「買い物にも行かないでくれ」と言った。ズーと側にいてくれと。

母は、その時すでに何らかの心臓の異常を感じていたのだと思う。私のいないときに、医師あるいは看護師が来て、注射を打たれ、自分の心臓の鼓動がおかしくなっていたのを知っていたのだ。ただ母は、あまりそういうことをうまく言えない。なにぶん尋常小学校しか出ていないのだから、それでも自分の感情を表現するのが上手くない。それが「いざ」となったときにどうなのか、私は心配していた。ボケていない母が、看護師らにそうみられていたのも、そういう理由による。ボケているのではなくて、表現するのが上手くないのだ。

だから私がいないときに、医師らにそうされ、心臓の鼓動がおかしくなった時に、母は母なりに私に知らせていたのだろう。それも相当苦しければ、言葉も見つけにくいだろう。死に対して極端に怖がっていた母が、相当虐待された。存分に死の恐怖を味合わされたのだ。その翌日にも「苦しい、苦しい、死んじゃう死んじゃう」と言った。私は今まで母親から聞いたことのない言葉を聞いた。「死んじゃう」とはどういうことなのか?

つまり、ジコキシン中毒になる前2日間に、母は悲鳴を上げていたのだ。しかし、私はまさか、このようなジコキシンを注射しているとは思ってもいなかった。その翌日には母は2,30の極端な徐脈になっていた。母親の容体の極端の変化に私は気がついたが、ジコキシンを打ったと聞いた時は、本当に驚いた。いったいこの医師らは何をしているのかと。

母親が「死んじゃう」と悲鳴を上げているのに、またジコキシンを打っているのである。極端な徐脈になるまで続けたようだ。しかし、カルテが事実そのままに書いているわけではないことを発見した私は、これは殺人以外のなにものではないと思った。

その夜に私はいろいろのところに電話し、母を転院させるべく努力をした。しかし、その一つでは、私がこういっていると病院の医師らに通報した。そして私が転院を申し出ると、看護婦長は「転院はダメです」と怒声で叫んだ。私は「こいつらは母親を殺すつもりだ」と認識した。110番することも考えたが、ダメだろうと思った。日本の警察は民主主義ではない。私が逮捕監禁を訴えても、こないだろう。

それは母の死亡後に110番すると、警察の電話は「病院のことは病院に言いなさい」と、のんきな返事が返ってきた。さしずめ母親が死亡するというので、息子が動揺しているとでもいうのだろう。これが日本という国だ。「話のすり合わせ」というものがいかに深刻な病であるか分かると思う。

いま思えば、母親の命を救うには、一計を案じて救急車を呼び、刃物でも振り回すしか母親の命を助けることはできなかっただろう。それも転院をさせないと分かった時に、どうするか考えた。それしかないのではないかと思った。恐ろしい国である。

いまも母が最後に家にいた時に座っていた籐椅子が私の横にある。入院してもジコキシンを打たれる前まで元気だった母の面影がちらつく。そして2日もしないうちに母に異変が起きていた。

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五輪ボランティア名称案

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は12月11日、2020年東京五輪の大会ボランティア、都市ボランティアの名称案を発表した。組織委によると、名称案は、ネーミング選考委員会委員、広告代理店などから出た149案を、ネーミング選考委員会、商標調査、国際オリンピック委員会が複数回確認し、4案に絞り込んだ。

発表された4案はそれぞれ、大会ボランティア・都市ボランティアの組み合わせで、「フィールドキャスト・シティキャスト」、「ゲームズアンカー・シティアンカー」、「ゲームズフォース・シティフォース」、「シャイニングブルー・シャイニングブルートウキョウ」。都市ボランティアのシャイニングブルーについては、ボランティアを運営・募集する自治体によって名称が変わる想定だ。

なんでもこのような名前が五輪のボランティアの名称案だそうだ。ちょっとみると、何が何だか分からず、何をする人なのか、何をしようとしているのか、訳の分からない話だ。

これを誰かに聞いてみて、すぐに連想できる人はそうとう変な人だと思う。普通にわからなくていいのだと思う。舌を噛みそうな名前だし、それがなんだかは、高齢者には皆目見当がつかないだろう。でも、それがいいというのが運営者らしい。

でも、決める人は適当に決めて、自分では関知しないのでしょうし、それで仕事が完了するのだろう。でなければ、こんな無責任な名前は出てこないだろう。

高齢者を排除する意味においては、最高の名前だと思う。何しろ何を意味するかさえわからないだろうから。今年の漢字一字は「災」だったそうだが、これもその一つかもしれない。人災に違いない。

「高輪ゲートウェイ」ではないが、なぜこれをごく普通に「高輪」にしなかったのか?まして一番人気だったのに、それでは面白くないとばかりに、余計なことをする。

よく小説などを書くこころえに、奇をてらって書いてはならないということがある。そうするといかにも面白そうに思うが、小説などの場合、読者にそのイメージがより適切に伝わらなければならない。そのため「高輪ゲートウェイ」より「高輪」の方が、ずっといい感じだ。つまり余計な憶測を与えないということだ。

たぶん多くの人が「高輪」と言えばすっきり来るのに、「ゲートウェイ」が続いているばかりに、なんか割り切れない感覚が残るに違いない。新しい感覚を盛り込みたいという気持ちはわかるが、「高輪」そのものに高級感があるので、かえってちぐはぐな感じがしてしまうのだ。残念。

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花田優一の異常な生活?!

父親・元貴乃花親方に続いて、息子で靴職人の花田優一が正式に離婚したそうだ。

「今年9月に“美女”と密会していたところをフライデー。妻との亀裂が生じたのは、7カ月前に放送された『おしゃれイズム』だったというのです。この放送では、花田が実の妹たちと一緒にお風呂に入ったりキスしていることを告白。

「同誌の取材によると、番組内で“自宅”として公開されたものが、妻が住んでいる家と全く違ったそうです。しかし、自分が知りもしない家を夫が持っていたという事実にショックを受けたことが、信頼関係を崩す決定的なものになったのだとか」

母親の河野景子からは深すぎる愛を注がれて、血のつながった妹たちとは常軌を逸した愛情表現。 一方で、妻を“コイツ”と呼び、その妻の知らぬところで家を持ち、謎の美女とも密会。…視聴者が抱いた“違和感”は、全くもって“的確”だったようだ。

これはまずもって異常な生活だよね。妻が知らない家を持っているというのは、他のタレントとか不倫をしている人は、そんなにあり得ない話ではない。もともとこの妻とは信頼関係はなかったのでしょう。なにしろ「こいつ」でしょ。

しかし、信じられないのは『おしゃれイズム』で、妹たちと(私はその妹が何才か分からないが、1人ではないらしい)。 一緒に風呂に入ったり、キスしたりしていることだ。これは確かに常軌を逸している。普通じゃないことだ。

しかし、それ以上に驚くのは、母親の河野景子がこの息子に深い愛情を持っていることだ。信じられないが、こういう母があって、こうなっているのだろうと思う。またこの母親を、私はテレビでは見たことがないが、どういう人かも知らない。アナだったらしい。それでこういう人たちのある意味異常な生活を知っている人間としては、父親が貴花田だから、ここまで崩れているとは思わなかった。

しかし、振り返ってみると、貴花田もりえちゃんと何かがあったものだし、姉さん女房としても、行き過ぎかなと思うと、今回の息子のことで、一気に貴花田のというより、有名人の私生活がのぞき見えるように思う。

ここまで退廃しているとは、「もっと自由を」なんだろう。もっと先々の生活が出てきても、驚くことではないのかもしれない。優一氏が職人としての修行をしたかどうかは、知らない。なんでも、ごく初歩的なことを勉強しても「3年」と言われる。それも異国でのこと。その中身は視聴者がもう想像がつくと思う。

これが親の七光り、というテレビ文化・民放文化なのだろう。あきれるばかりだ。

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日産ゴーン社長その後

「私も捜査2課時代に誤認逮捕しそうになったことが何度もある。なぜかというと、人間は他人のことなら平気でウソを言う。みんなウソっぱちを言うから、捜査が間違った方向に進む。司法取引の最大の怖さは、えん罪を生むこと。あるいは、謀略によって他人をおとしいれることができる」

これは元衆議院議員亀井静香氏のゴーン社長逮捕の意見である。私もゴーン氏の逮捕をニュースで見ていて、どうもよく分からない。たとえば不記載のものが実際にあるのか?実際ゴーン氏に報道されている金額が渡っているのか?では、なぜこれが通っているのか?分からないことだらけだ。

そしてここに書かれている誤認逮捕。これは事実大変なものだ。ここに書かれていることも事実だ。警察にいろいろ事情を聞かれたときに、嘘を言う心理が働く。だから、私は普段から、警察は捜査をちゃんとやりなさい、という意見を言う。いまのような捜査をしていたら、いつまでたっても冤罪は減らない。警察は怖いものだと思われたら、もうそれで警察の敗北なのだ。恐い警察に本当のことを言っているつもりでも、微妙にずれる。それがつじつま合わせをしていくうちに、とんでもない負の情報になる。これが足かせになり、筋を追いかけると、冤罪の方に流れている。

これは私自身「日本テレビおしゃれ事件」で経験している。久米楠田は自分たちが名誉を棄損されたと訴える。しかし、訴えるにしても、自分たちが進んで放送していることを、それもそれらの事実が(性的関係後)においても、放置し放送されている。私はこれらのことが公共の利害に該当するケースとして認識している。当然久米楠田は、何らかの対応を求められることだ。いちばんのいいケースは、放送したものは放送して事実関係を取る。

ところが事実は犯罪のためそれができない。それで名誉棄損罪を使い、隠蔽しようとした。それために嘘を言わなければならない。そちらの道しかない。ところが私にそれらを指摘されたことは、私に感謝こそすれ、犯人に仕立て上げるのは、社会の通念上どうなのか?たとえば、そのまま「おしゃれ事件」が放送され続けた場合、大変なリスクを久米楠田あるいは日テレ民放などが負うことになる。

つまりはっきり言って、私には感謝しかないはずだ。ところがその私を犯人に仕立て上げている。その辺の事情は、警察が久米楠田はじめ関係者から事情を聞いたはずだが、それに嘘があり、それらの事情で、そうだが暴走していた事実がある。それを指摘したのは、テレビ側ではなく「私」だ。にもかかわらず、警察は自分たちが嘘をつかまされていることさえ分からないから、それが私が罪を逃れるためにしていると思ったようだ。

その結果どうだ。超音波盗聴機を私に向け、知ったことは、テレビ側が投書を送らせていたことだ。そしてこれらのことがテレビ側の放送と関係してくる。つまり彼らの仕事と。だから彼らは有名人だし、その人間が犯罪をして、すぐにそうですかと罪を認めるかどうか。その辺のところは捜査側の力量にしかならないだろう。

冤罪の多くが、捜査が暴走し、捜査がおかしいのではないかと思っても、そこに止まり修正能力が極端に今まで低かった。そしてここで最も重要なのが「警察が恐い」という存在である。これをある意味継続させるのは、なぜか知らぬが、嘘を言わせる環境をつくっているのが警察自身であるということである。

しかし、ゴーン氏は頑張っているようである。どうやら私と同じで「筋の通らぬ」ことはしないタイプなのか?私も「おしゃれ事件」に抗議しているが、好きでしているのではない。そもそも事件そのものが長すぎる。私が認識しているだけでも10カ月。日テレも資生堂も何をしていたのだろう。これだけでも罪だ。犯罪を放置しているのだから。私のように「正直、嘘は言わない。悪口は言わない。自己に対する誠実さ」などしかない人間が、仕方なく書いているのである。その時点で、「おしゃれ事件」に関わった人間は終わっていると思う。

ゴーン氏の冤罪が言われるのも、どうも筋がぴしりと通っていないように思う。

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分かりにくいのはなぜか?ゴーン逮捕

ゴーン前会長の逮捕容疑は役員報酬の虚偽記載。通常、有価証券報告書の記載内容は企業や監査法人が責任を負うため、フォール氏は「なぜ逮捕されなければならなかったのか、今も謎だ。

 ゴーン前会長の勾留が長期間に及ぶ中、「民主主義の国はこういうやり方をしない。今、日本で起きていることはサウジアラビアで起きていることのようだ」と批判。そのうえで「もし罪が比較的に軽かった場合、日本は将来、信頼を失うことになるだろう」と強調した。

私もそう思う。ゴーン氏が逮捕されてから、ニュースを見るがよく分からない。それは報道の仕方が悪いのか。それともニュース7などでも、警察・検察発表をそのまま流してしまうことによる分かりにくさなのか?

ただ民主主義国はこういうやり方はしない、というのは事実だろう。それは日本人すべてが置かれている環境である。そしてこれを一方的にやられるわけだから、犯罪を犯したとみられる人間は、ほとんど犯人。ニュースでそれに枝葉をつける。

もう逮捕されたらアウト。しかし、変ではないか。これは捜査側が考えていることで、事実なのかはよく分からない。それで私はゴーン氏のこの事件をあまり考えないようにした。いっさいの態度を保留するしかないと思う。白とも黒とも思わず。

ただやり方として長期拘束され、寒いというのだから、たまらない拷問だと思う。特に退任後にもらう報酬というのは何か?分からないですよね。後の人たちが、それを了承するかどうかというのは、どうなのか?

日本の他の例では、会社を辞めた後でも、影響力のある人は、いろいろ意見を求められることもあるかもしれない。あるいは、その位置にいる人が積極的に関わるかもしれない。また全く知らん、という人もいるだろう。

しかし、だからと言って巨額の報酬をもらうるかどうかは、あるのだろうか?競争他社に関わらないように、報酬を与える。しかしそうなるかは保証はないだろうし、その時に、もっと高額報酬で経営に参加して欲しいという会社が出現した場合は、どうなるのだろう。

つまり、私はここをどうこうするということがよく分からない。ニュースを見ても分からない。外国人の場合どうなるのか。韓国の企業が日本でリストラにあった人物を高額で招き入れ、その技術はじめ様々なやり方を得た、ということもよく聞く。分からない。

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つぶれる書店

日本の書店がどんどん潰れていく本当の理由

こういう記事があった。本当にどんどんつぶれていく感覚である。本好きの私には本当に他人ごとではありません。特に本は中身を見なければ買えないものだ。特に高齢者となった身にはつらい。タイトルはいい。でも開いてみたら字が小さくて読みにくい。これがアマゾンで買ったものにいくつかあった。とても読めない。いくらなんでも虫メガネを手に本を読むのはストレスを感じる。そういうものは結局読まない。

そこでできるだけ内容を見てから買うように書店に出向く。ところが平や目立つところに置いてある本は、ほとんどが話題本。こういうのはおおむね読みやすいが、中身がスカスカや、ないものも。活字が大きくてただ買わんかな、というような本ばかり。話題本は大体その時々の話題に沿って書かれた本である。売るための本であり、特別何か重要なことが書かれているとか、感心するようなことが書かれているわけではない。

それからテレビなどで紹介されていても、それら多くはニュースなどで紹介されるのだが、読んでみると意外とつまらない。これも紹介するためには、いかにもいい本だとか面白いなどということを言う。これも私は確かにそうだと思ったことは一度もない。

芥川賞を、直木賞を、という本も読んだことはない。ちょっとなんだ、と思って手に取ると、たいていテレビなどで話題をふっている本だったりする。そういうのばかり本屋に並んでいる。私は芥川賞あるいは作家になりたければ、テレビに出た方が早いと思う。それだけ本はただ売るだけのものになってしまっている。文句は「テレビで紹介されました」とか、「発行累計何万部」あるいは日本スゴイ本。

つまり本屋を潰したのはテレビだと思う。テレビで振ればふるほど、ただ売ればいいでしかなく、もう多くの読者はその買わんかな商法に飽きが来て、本屋にも足を向けなくなっているということかもしれない。

本を読んだとて、中身がないのだから、自身が進歩充実していくわけでもない。ただ時間の浪費とかったるい疲労感だけが残るのである。だったら写真を撮ってネットにあげたり、ブログを更新してアクセス数が増えた方が面白い、ということにしかならない。これはつまりは面白ければいいということであり、そういう本がないのである。

若い人たちが、この1年1冊も本を読まなかったと言っても、私は驚かない。私は母が殺されたこともあるが、この一冊という印象に残った本は、今年もない。

食事が口からできる母親に、点滴をズーとし続けて、水分で殺人をした医師が、何も問われない世の中が、とてつもなく変だと思うだけである。それで食事はしているのだそうだ。いずれにしてもその管理責任は病院の医師だ。刑事は「それがその病院のやり方で問題はない」そうだ。水分量はじめ何もかもめちゃくちゃ。最初から殺すつもりだったのだろう。

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水道料金頭ごなし

雫石町長山岩手山の住宅やペンションなど35軒に水道を供給するイーテックジャパン(仙台市青葉区)が、住民に新たな料金負担をしなければ水を供給しないと通知し、地域が混乱している。同社は経営悪化を理由に、井戸水をくみ上げるポンプの電気料金負担を住民に求める。

なぜこういう公の事業をしているところが、すべて頭ごなしに物事をすすめるのか?本当に住民・利用者は頭にくることだろうと思います。

まだ近い話では、電力会社がそうですよね。結局原発事故など、またこれからの事故処理費用など全ては利用者に料金転嫁されるのでしょう。汚染水なども汚染物質を取り切れておらず、いずれはそのまま海へ放出することになるのだろうと思う。いいや、もうすでに多く出ているのかもしれません。分かりません。

なぜなら日本では「話のすり合わせ」がある。これは日本のいたる業界と限らず、あらゆるところに存在する。たとえば、障がい者の雇用問題の数字合わせ。私はおかしいとは思っていた。というのは、民間なら数字的に合わせることはできるかもしれないと。しかし官公庁では無理だと思った。そんなに上手く仕事につける障がい者がいようとは思えない。

それが発覚した。女性の医師についても変とは思っていた。ところが、ではどう情報を集めていくかと思っていたところで、人脈やそういうものを探し始めていたところで、問題が発覚した。そしてこれらの全ての存在するのが「話のすり合わせ」。

いま私がこの「話のすり合わせ」の真っただ中にいるのは、母親の見取りをした医師の資格問題。この医師は平成28年度に資格を取得しているはずなのに、厚生省の医師資格確認サイトで確認できない。つまりでない。ところが調べると、この医師は資格がありますよ、と聞いている。2年に一度の申告をしていない医師は出ない場合があります、と厚生省は言っている。それで電話ではあります、と。これが「話のすり合わせ」です。ではなぜなのか?

私はこのことを全く信用していない。厚生省が嘘を言うはずがないというところが、「話のすり合わせ」なんです。事実2年に一回の時期は、今年の12月31日に来る。ところが、29年、30年に医師資格を取った医師は私が調べた限りではみな出る。つまり2年に一回の申告時期が来ていない医師が、みな出るのに、なぜこの医師は出ないのか?

厚生省が嘘を言っていてもいっこうに私は驚かない。”強制不妊手術”を聞いた時は、どうものを考えていいのか分からなくなった。でもこれが日本という国のやっていることなんですよ。こんなことやっているはずないよね、というような感覚を悪用して国民を騙す「話のすり合わせ」。

超音波盗聴機やおしゃれ事件もそう。こんなことないよね、とか普通出来ないだろ、とか。こういう感覚で「話のすり合わせ」が行われる。でも、潜水艦に乗っている乗組員とか、テレビ局に勤めているアナとかタレントとかは、事実であることを知っている。ところがこの人たちが、自分たちの責任が問われることに嘘を言うという感覚はわかるはずだ。

ところがたいてい、その前でそんなことないよな、で終わる。考えることもできなくなり、自堕落に。ではどうしたらいいだろう。私の場合、直面している母親の医師資格問題では、その医師は来年の2,3月になっても出ないのではないかと思う。私は本人に「厚生省の指導に基づいて申告してください」と電話で伝えている。でも出ないまま、半年は過ぎた。

医師資格確認サイトなんだから、29年30年に資格を取った医師が出るのは当たり前。その申告の時期が来ていなくても、空白期間があってはならない。そして2年に一度の申告では何を特にするかというと、現状である。つまり勤めている病院・クリニックなどとその住所である。つまりはっきり言って、資格そのものとはあまり関係ないことかもしれない。とにかく厚生大臣は、医師の資格のある氏名を公にしなければなるまい。それが法律である。

現状が分からなければ、資格を持っていても、資格確認サイトには出ないと言っている厚生省の感覚はどうか?

 

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東大が人生の全てだなんて?!

さらに「世の中にいろんな資格があふれてるけど、他の資格は全部クソ」と言い切る堀江。吉川が「言って大丈夫なんですか……?」と驚く中、堀江は「全然大丈夫、僕は資格を取るやつは馬鹿だって言ってる」と言い放ち、「医者とか弁護士よりも、東大の方が上なんですよ、資格として」と堀江節を炸裂させた。

粉飾決算で人生をやり直したはずの堀江貴史氏。たいへん意気軒高だ。しかし、言うことはいつも決まって、「俺(/・ω・)/」。俺って東大だぜ。どうだすごいだろ、と言いたいのかもしれない。

しかし、本当にそうだろうか?いろいろな人が世間を騒がせその中に東大卒の人もいる。こんな人も東大かよ、と呆れるときもある。そんな最高学府を出ていながら、何やっているのか、と言われることもしばしばある。

ただ、いまの東大はそうとう変な人間もいる。昔は本当に自身に誇りを持っていたのではないかと思う。そしてそういう人は、自分が東大出だなんてことは鼻にもかけない。そう確かに、私でさえ、もし少しでも勉強する時間を与えられたら、私も東大ぐらいは行けたかもしれないと思う。

私は勉強などする時間も与えられたことはない。「勉強しなさい」と言われる子供たちをうらやましいと思っていた。勉強する時間がなく、家事をしながら勉強らしきことをしていると叱られた。それでしょうがないので、食事をしながら本を読んでいると、これまた叱られた。

それでは「僕はいつ勉強すればいいのだろう」。そんな時間などない。それでも中学校の入学テストでは、クラスで2番目だった。全体でも10番には入っていたか?しかし、それを母親がほめたので、私は頭にきて、いっさい勉強をするのを止めた。母親は私がクラス委員に選ばれたら興奮して帰宅した。本当に悔しく、二度といい成績などとるかと思った。それでもっぱら授業を聞いて、教科書は家でも勉強をしなかった。そんな時間などない。

だから東大出だと言って自慢して欲しくない。そういう人は世の中には掃いて捨てるほどいると思う。家でお金が工面できなくて高校もいけない人もいた。それはその人の実力とは全く関係がない。働かなければ食べていけないのだから、そうするだけだろう。しかし、それでその人たちが、ホリエモンのテレビを見て、なんて思うか分かるだろう。ホリエモンは本当に幸せな人だと。

いまの東大に行く人たちはみなお金持ちが多いいと聞きます。勉強するにはいちばんは環境です。勉強ができる友達と勉強ができた両親と、十二分の補助とがあれば、誰にでも入れるのが東大だと思います。でも考えてもらいたい。ペーパーができて、現実の問題が全然できないということはどういうことか?

ごく普通に「おしゃれ事件」で、私の捜査に当たった捜査課長、たぶん東大出のエリートかもしれません。ところが久米楠田らのタレントや民放テレビ局がどういうところか知らない。権力ずくでしか物事ができない。こうなると私の方が迷惑です。自分の頭で考えたことが絶対的に正しいと思っているのでしょう。その結果どうか、超音波盗聴をして、怒鳴ってました。自分がしくじったのを人のせいにしているのです。

どうです。たぶん最高学府で学んだ結果、何が起きたか。分からないでしょう。貧しい人がどれほどの気持ちで生きているか。人を測る物差しが学歴ひとつというのは、寂しいことですよね。中学を4カ月しか通えなかった、尾畑春夫さんはなんてすばらしい人でしょう。こういう日本人が昔はたくさんいたんです。だからこういう人をだまして戦争へ駆り立てていったずるがしこい頭のいい人は出世したはずです。やはり権力です。

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外国人労働者受け入れ

外国人労働者の受け入れを拡大する入管法改正案をめぐり、安倍総理が出席する最後の委員会質疑で、野党は、この3年間で技能実習生69人が亡くなっていることについて追及した。安倍総理は「亡くなられた例は初めて聞いたので答えようがない。山下法務大臣のもとで調査し、省令等で対応したい」と語った。

この3年間で69人。溺死と凍死。これを聞いて唖然とした。自分たちが暮らしている社会がいかにおかしなものなのかを自覚しない訳にはいかない。

しかし、もっと日本社会が重症というのは、これらの事実関係がほとんど報道されていないということです。溺死や凍死なら、警察も何らかの形で動いていないのか?不審な死に方で、誰も警察に動くように働きかけを行わなかったのか?

特に普通の働く状況で「凍死」というのは、あり得ない話である。これがもし日本人なら報道したのだろうか。実習生だからあえて報道しなかったとしたら、明らかに人種差別だ。自殺者においても、ひどすぎないか。孤独と蔑視されたりする理由はあるのだろうか。

とにかく崩れるである。崩れてへなへな。

問題としないのは、いまのニュースでは貴ノ岩が暴行したとか、4,5発殴ったとか?このニュースの方が重要なのか?お相撲さんは勢いでいっちゃう場合がある。いつもしていることなのだから、ついでちゃう。いくら暴力追放でも、実習生の方が問題ではないか。メディアもいっちゃってるのだろう。

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東名高速あおり事故初公判

東名高速でのあおり事故で夫婦2人が亡くなった事故の初公判が始まった。危険運転致死傷罪、暴行罪、監禁致死傷罪などで起訴されている。

しかし、私はなぜ殺人罪で起訴をしないのか不思議に思った。確かに危険運転でもいいはずだが、明らかに殺人を狙ったものとしか思えない。

高速道の追い越し車線に車を停車させないというのは、運転免許証を持っていれば、移動できない場合以外はあり得ないことだ。そういうことは警察の教習などでも、あるいは交通ルールでも当たり前のことだ。そこに停車させれば、後方からくる車が追突し死亡事故が確実に起こる可能性がある。

これらは運転をする人間はみな認知していることだ。それはここに車を止めれば後方から車が追突し、死亡するだろうと相当の確率で予想できる。被告はこれを考えなかったことはないだろう。ただ、確実に車が後方から追突するかどうかは、決定的ではない。回避できる可能性もある。だから殺人罪が適用できないのかもしれない。

しかし、こうすれば追突し死ぬかもしれない、死んでもしょうがない、あるいは積極的に殺してやる、という感情があっても何らおかしくない。未必の故意は存在すると思う。

母親の死亡に関わることでもそうだ。頻脈が起きて、持参薬を私がのましてくださいと懇請しているのに、実際飲ませたのは7時間後だ。このような状態を死ぬと表現しているのだから、死んでもしょうがないとなかなか飲まさなかったのだろう。

医師自らが、そのようにして死ぬということ、その死亡診断書のストーリーが、この時に出来上がっている。未必の故意は厳然と存在しているし、暴走もしている。

東名もそうだが母が受けたような行為が起きてはいけない。このようなその時のタイミングを利用するというのもある。たまたまそうなるとか、そういうのは現実にはたくさんあると思う。母にも逮捕監禁罪を考えている。事実そうだから。公文書、証拠隠滅もある。

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ネズミその後

ネズミがここ3日間来なくなった。ぺったんこに張り付いたわけではない。獲れなかった。

ただ今度のネズミは、いままでのネズミと違う行動をとっていた。今までのネズミがかかった場所には1度も行かなかった。それ以外の場所にもいかない。ただ天井に入った。特に未明に騒いだり、朝の4,5時に音がすると、どうしても起きてしまう。これには閉口した。

起きて再び眠ることは難しい。天井にネズミがいるかと思うと、とても再び寝入ることは難しい。とにかくできるだけ考えないようにしたが、それでも体調が悪くなる。母親の介護から死亡。その後の様々なストレス。それに続くネズミ騒動。

しかし、とにかく入る場所を探そうと、もうひと踏ん張りだと思い、穴を探した。3か所ぐらいあったように思う。しかし、そこから入ったとは思えないほど細い隙間だ。それでもとにかく確実に塞ごうと思い、つめた。そこの一か所がどうも侵入口だったのかもしれない。

というのは、その作業をした後、夕飯の支度をしている時、外の流しにおいてあるバケツが音を立てた。あれと思い。確認した。流しと壁との隙間がある。そこにジョウロの口を下に入れ込んである。その先はちょうど私が詰め込んだ場所に近く、どうもネズミがその先にあたったのだろう。

この時の後からはネズミは侵入していない。また来るのではないかと思うが、その場所の近くに「毒」を置いた時に、それがけ散らかされていたことがあるので、間違いはないだろう。たぶん詰められたのではないかと思う。それこそ何十年で探した隙間である。

もう入らないことを願う。

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フランスの状況に目が離せない

パリのデモ、負傷者100人に=各所で黒煙、地下鉄も閉鎖

フランスが燃えている。やはり民主主義国だ。なぜこうも日本と違うのだろう。確かに日本は民主主義を勝ち取ってはいない。だからそもそも日本国民に民主主義の思想がない。

日本は自由主義陣営とみられている。しかしそれは商業的にはという但し書きだ。どちらかというと東アジア全体主義国家のくくりの中にいる。

日本の民主主義はアメリカから与えられたもので、いわばかごの中の鳥という訳だ。かごはアメリカがくれたもの。その中に住んでいる日本人。だから思考そのものが、自発的ではない。常に他者として在る。常に自分だけは安全地帯に置いて置きたい。

だからインドでの○○さんに「あなたたちはね」と言われてしまう。これが現実だ。ノーベル賞からみれば、やはりそんなところなのだろう。

加えて気になることがある。それは私は2ちゃんねるを時々見る。するとほとんどが現実を否定する意見だ。より良い肯定が、ざっと見るが見当たらない。

若者たちが崩れる。テレビが崩れる。事件の様を知るとやはり崩れている。「もっと自由を」なのだ。曽野綾子では軽いのだ。幼児の虐待件数が多いいのは、悲鳴なのか?子供のめんどうを見ながら、テレビを見ているとどうなる。放送していることは快楽の塊。どう見ても母親がおかしくなる。バカバカしいことが日本基準になるとしたら、問題だ。

いや子供を育てているお母さんは、「テレビで放送していることは、皆おかしいと思っているんですよ」。このことを知るべきです。テレビがおかしいということを知るべきです。自分たちが正しいということです。だから虐待は止めるべきだ、と。

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そう言えば日テレの

日テレのニュースに出ていた久能アナ。私は随分久しぶりに見たから、こう感じるのかもしれない。

とにかく声がさえない。かすれた弱弱しい声で、これはガンにでもなっているのか?それとも82歳で老衰になっているのか、心配される。←こう書くのは、私ではない。

よくガンになる人は声がかすれるという。それが今夜見てひどかった。声が出ていない。老衰というと、たしかに早い人では老衰になる年齢だ。私などもそれを注意して、いまから奮闘している。早い人では80台で老衰になる。

私の母は99歳で、ここで殺されたが、救急車で運ばれる前は、両足が立たなかっただけで、元気だった。脱水症状というので、それは私も認識していた。しかし、病院に入院した当日も元気だった。「治ったら、またおうちに帰ろうね」と私が話しかけると「うん」と力のこもった返事をした。

医師の死亡診断書では「誤嚥性の肺炎」というのがあったが、それは医師がその2日後に言い始めたことだ。誤嚥をしたという事実はない。「うん」という母親の声は今も思い出すが、とても死ぬような声ではない。今夜の久能アナの方がよほど弱弱しい。だから私は母親の返事を聞いて、「ああ、これなら2,3日で、退院できるな」と思っていた。

つまり、母親はそれほど元気だった。3日後に頻脈が起きていたときも、声は元気だった。とても死ぬような人間ではなかった。声ははっきりしていて、力があった。様子がおかしくなったのは、やはり医師が私には内密にジコキシンを打ったことだ。医師はそれを説明する機会は目の前にあった。だがしなかった。後で調べてみると、すでにその時、最初に打っていた。にもかかわらず、それを私に説明していない。

強心剤ということなら、医師は私に拒否されると思ったからだろう。つまり、説明すると、母親には持参薬しか飲ませることしかできず、2,3日後には元気に退院されてしまう。つまり母親は死なないで、元気に出てしまうからだ。入院させておく理由がない。

ましてここでは書かないが、もう一つの理由があり、それによってなぜすぐに退院させようとしなかったのだろう、と疑問も出てくる。看護師などの話を聞くと、すぐにでも退院させる方が普通ではないか。それをさせないようにしている。これも不思議だ。またなぜ部屋を替えることをしなかったのだろう。これも疑問だ。普通の他の病院なら、それなら部屋を替えるでしょう、と疑問が出る。それをしない。部屋を替わると医師が変わるからだろう。

つまり本来母親は徳洲会病院に入院している人間ではない。断られても不思議ではない。ところがそれをしていない。つまり家族が徳洲会病院を選んでも、少しすれば、母の容態を考えれば転院するのが好ましいということになる。死ぬという状況ではないのだが、転院が好ましい。それは私がいちばんよく知っている。だからなぜ、脱水症状が回避できた翌日にでも、あるいはその翌日にでも退院、若しくは転院をさせなかったのか?不思議だ。

ただ死亡原因はすでに入院した時点で、存在する。腎の薬を抜いている。なぜ抜いているのか不明だ。ただ抜いて水分をどんどん入れれば死亡することは私にも理解できる。それをしたのだ。薬を抜いているのだから、他の薬についても十二分に認識しているはずだ。では、なぜジコキシンを打っているのかは不明だ。カルテを見ると、「石灰化」というのを驚いたかのように書いているのは、捏造なのか、わざとそうしている芝居なのか?母の飲んでいる薬でどういう状態か分かるはずだ。医師が満足するために殺されてはかなわない。他の病院のカルテも、そういう意味で頂いた。比較すると、すべてのことがつじつまが合わないはずだ。

いつ肺炎疑いが誤嚥に変化したのか?少なくとも母は病院の中以外はない。また肺炎疑いは、30年度のことではなく、それ以前のことだと思う。その事実もとった。同じ病院のものと、他の病院のものと比較すると、今回の医師のとった行動は、異常だ。

当事者の医師は2人共、もうとっくにその病院にはいないそうだ。また考えなければならない。

そういう意味で、本日の久能アナより、入院していた3日目の母親は、彼より元気だった。歩くことが思うようにできなくても、それは別の病気だから。ジコキシンによって急激に容態が悪化した。私はそんなことをしているとは思わなかったので、変だとは思っていたが、それとは知らなかった。明日にでも退院するだろうと…

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美人すぎる?!

なぜ「美人すぎる」を付けたがるのか

これは毎日新聞の記事ですが、有料のため、この先は読めません。それで推察します。

「美人すぎる」とつければ、読む方がどれどれという気持ちが起き、注目されそうだから。それとそう形容する作者が、めんどくさがり屋でいろいろ表現を見つける努力をしないからだ。それから、この場合、決して美人ということはないということでもあるが、そういうと問題が起きるので、適当に「美人すぎる」と書いておけばいいだろうという、簡単な気持ちである。

それとこういう記事のほとんどは死んでいるので、どうでもいいと思っている。書いている人間が、いやいや記事を書いている。ひどいのを見たことがある。「1000年に一度の美少女」。まずほとんどの人間は、1000年も生きてないので、その例がなく見当がつかないこと。つまり訳の分からない意味不明の形容だ。

1000年に1人ほどの美少女。これも書いている、つまり売る方も相当嫌気がさしているのか。どうでもいいと思っているのか。こんなんでいいだろうと、適当な気持ちにならなければとても書けるものではない。それから当の本人をテレビで見たが、ごくごく普通の女性でした。でも、テレビなんかに出るのだからという訳で、そう書いたのだろう。

書いた人間が、決して引きこもりで、多くの女性を見たことがないということもありうる。それともテレビに出ている中の女性では1000年に一度なのかもしれない。

これを記事にしているのも、日本的な平和な話だと思う。やはりフランスのここのところの記事はいい。デモクラシーとはそういうものだ。

外に出よう。きれいな女性はたくさんいますよ。

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