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2018年9月

汚染水

汚染水が溜まり続けているが、ここでトリチュウム以外のものは全て大丈夫なように言っていた報道はなんだったのか。汚染水を海に放出するという考えを知ってから、福島の漁業関係者が反対していた。

それにもかかわらず、汚染水は基準値以下にまだとり切ってはいない。それで東電は放出が決まってから、取り除くとしている。しかし、そんなの嘘だろ。例によって「話のすり合わせ」をしていたわけだから、放出するときでも、取り切っていなくても、取ったとして海に流すのだろう。

でも、これって問題ないのだろうか?例によって、人体に影響を与えるレベルではないとか。そういう話になるのだろうと思う。だが、これも「話のすり合わせ」だろ。これは私は若いときから認識していた。哲学的とも言うか、あるいは事実関係を突き合わせてみるとでもいうか。必ずつじつまが合わないものがある。

これが世論操作の結論として、国がそういうことはしていないとか、そういう物言いが堂々と通る国だ。しかし、これをやるとすべての不正が通ってしまうことになる。情報操作の結果として、そういうことはないのだから、そういうことはないでしょう、ということになる。

こういう国に私たちは暮らしている。汚染水は増え続けるのだから海に流す。では、それはどのくらいの期間するのだろうか?それを考えると実際、恐ろしいことになると思う。いまだに原発を運転していく方向にあると言える。しかし、もしまた地震でまた原発がやられたらと思うと、この国は完璧に破綻すると思う。

私は原発そのものを最初から日本に導入するという選択は、すべきではないと思っていた。それは自然科学に対する私が学んだ敬意であるかと思う。ましてそれを無害化するまでに要する年限を考えると、日本という国には、負担が多すぎると思う。加えて他国に原発を建設し、となると、もはや無謀としか思えない。原子力政策も場当たり的だったんですよね。それでも原発をつくるという熱意によるものは何なんだろうか?

国力?先進国?トランプさんのアメリカを見ていると、貿易立国という考え方は、ずいぶん古いものになったように思う。それでもそうする。それで喜べる?本当にそうなんだろうか?汚染水が教えてくれているように思う。これからもどんどん増えていくし。何年も何十年も何百年も何千年も…。私たちは本当に正しい選択をしているのだろうか?とてもそうは思えないのだが…。

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捏造?!

何度も母のカルテを読んでいる。その度に怒りが抑えられず、眠れない。

カルテはでたらめ?!とにかく事実と合わない。これを殺人と言わなければなんというのだろう。

持参薬を故意に飲まさなかったことは、他でもあった。それで頻脈になった。「死んじゃうじゃないか」と言われたが、徳洲会の医師も、それぐらい認識しているだろう。つまり故意だろ。

自らの誤診を隠すために、そのまま続けた。しかし、私はこれらのことを他ですべて学習している。過失で普通はつめるのかもしれませんが、私は殺人をゆずるつもりはない。まして事実を相当偽装していることが確定的になれば、許そうはずがない。

他の人間には見破れなくても、私は認識している。私が刑事なら、とっくにつんでいるだろう。今でも他の患者を診察しているということになれば、どういうことになるのか!?このような危険な状況を放置するのは許されることではない。内部告発も自首もないのですかね。匿名の電話もない?としたら、大変なこと…

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持参薬のカルテが

母親の持参薬のカルテを見ていると、どうなっているのか、さっぱり分からない。

つまり、でたらめなのだ。死亡したのは、5月16日の11時05分。しかし、持参薬のカルテでは、昼の薬も夕の薬も飲んだことになっている。

変なのだが、司法解剖をすり抜けるために、それらの薬を死亡直前に身体に入れたのだろうか?最初の頃飲まさないようにしていたから、解剖で引っかかると考えたのか、とにかくカルテでは、飲ましたことになっている。

死亡日は16日だが、私は15日の夜に死んでいるのではないかとさえ思っている。というのは、どうも該当病院では、霊きゅう車の手配のためか、夜浅いうちに死亡しても、翌日の朝に電話が来るということを、聞いている。

また看護婦の出入りに不審に思っている。どうも変だが、それはここでは書かない方がいいと思う。つまりカルテを後から見た場合、看護師の責任の部分が、ボケているのだ。なぜこうしているのか分からない。ただこれでは責任を取る場合、看護師の責任者がとることになるだろう。

薬は先生の指示だ。「転院させるな」という指示も先生であることはつかんだ。また、他院への紹介状は捏造されている。ジコキシンの過剰に投与し、脈が20、30になっているのに、ジコキシンで安定していると書いてある。これがかかりつけ医に行っても、本院で診療する必要はない、と返事が来ても不思議はない。

私が母への急迫不正の侵害を訴えても、かかりつけ医の相談員は、それを医師に連絡するだけだから、これでは通じない。私が、診療を求めても、断れないのだぞ、とメッセージを出しても、伝わらない。現実にその後母は1週間後に死亡しているのだから、私の行動なり行為が正しいということになるだろう。つまり、感覚的に「殺しにかかった」というのが間違いではないということだ。

それでつい最近、ニュースを見ていたら、タクシーの運転手が他の運転手と口論をし、その後車を動かし、「アクセルとブレーキのふみ間違い」であるかのような事件が報道された。殺人事件なのか。それを見ていて、確かにそうなのだ。私と病院の担当医師との、口論ではないが、すれ違いがある。それが何らかの影響を与えていることは、事実ではないかと思う。

私はそれほど深刻には考えてはいなかったのだが、その医師は、何しろ看護師を引き連れて大きな声で騒いでいる。それで引っ込みがつかなくなったのだろうか。「証拠はある」みたいなことを言っているのだ。だが、私はそんなことはいいから、母親の頻脈を持参薬をすぐに飲ませて、抑えて欲しいと言っているのだ。そうすればすぐに治るのだが、医師が持参薬を飲ませたのは、およそ7時間後だ。この後にも、誤診しているジゴキシンの投与を2回している。

だから頻脈がおよそ13時間続いたことになる。家にいて私がかかりつけ医の薬を飲ませば、頻脈になっても30分か1時間で治る。つまり家にいる方がはるかに安全なのだ。死亡した原因の「うっ血性心不全」の状態も、家で治したのが、徳洲会に入院するおよそ15日前。こうなると救急車で入院させたのが、失敗したことになる。とにかくおかしな医師にめぐり逢い、母は殺された。

母の頻脈の病状を医師は今にも死ぬと認識している。今夜にも死ぬと。今にも死ぬという状況をなぜその後7時間も続けたのか、ここに殺意の存在を私は見ている。そしてこの時、2人目の医師・後期研修医に入ったばかりの医師に連絡したのではないか。その最初が7日である。つまり3日後には、その医師が出てくる。

これらの事実関係は忙しくてまだとってはいないが、電話ではある程度確認はしている。おかしな証言をつかんでいる。それはともかくとして、医師は誤嚥性の肺炎と騒いでいたが、それは私はかかりつけ医の方では聞いていない。誤嚥性の肺炎なら、西東京徳洲会にはいかない。死亡する可能性があるから。これらの行き違いが、口論ではなくても、動機にはなり得ることだと思う。

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医師免許証?

ここで私は「医師免許証」のコピーをもらった。私はなにぶん貧乏だけど、ドキドキしてもらった。それが最初はこんなものかと思った。

もちろん医師資格を確認した。それでも出ない。変だ。情報を入れても出ない。それでしみじみと免許証を見続けた。

するとなんだか書いてある字が微妙に違うように思う。どうも筆の問題なのか。グーグルで画像を見るのと、違う。

そのうちに周りの模様を見比べると、やはり違う。なぜ違うのか分からない。何度見比べても違う。模様が違う。私の目が悪いのではない。大きな虫眼鏡でみても違う。変な模様だ。

これはコピー機の問題なのかW 葉に葉脈のように描いてある。本物にはない。蔓のようなものが本物にはあるが、コピーのものはただの線。

もっと詳しく調べればわかるだろうが、たぶん偽物の医師資格証だと思うW

こんなのも、昭島警察は「問題ない」というのだろうか。「徳洲会には徳洲会のやり方がある」と。みんなこんなのか。どうするんだ、これは…

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ひとつの謎がつかめたか?疑惑はしぼれたか?

ここらで母の担当医の詰めをしている段階で、今日は一つの謎が解けたように思う。あるいは深まったのか?なぜなのか分からなかったことが少し進んだように思える。

少し動かなければならないかもしれない。暑い盛りに行けなかったところへ行かなければならない。だがしかし、なぜ私の感は当たるのか?不明。

ますます問題は大きくなっている。病院間をまたがって情報を共有しているとなると、ある意味現代社会の病院の闇が見えてきたようにも思う。

そうなると他の疑惑が出てきて、これはちょっとやそっとの問題でなくなってきそうだ。

私もそうだが、北海道の被災者も眠れることを祈っている。

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アジア大会女子レスリング金0

アジア大会の女子レスリングで金が0だったそうだ。これは私が予想したとおりだ。なぜ私の予想が当たるのかはよくは分からない。しかしよく当たる。

栄コーチのパワハラ問題が、ここであった。私はここでこれらの問題を冷ややかに見ていた。栄コーチが辞めれば、こうなるだろうと思った。というのは、パワハラと言われた経緯は、奇妙なものだったように思う。伊調馨などへのパワハラだったか?今はよくは覚えていない。

ただこれは言える。伊調や吉田などオリンピックで活躍したのだが、その功績を、どうも俺たちにも分けろみたいな話だった。栄コーチばかり評価されて、俺たちもコーチをして成果があったのだから、その果実を少しは寄こせ、みたいな話だった。せいぜいそんなところのものと私は考えていた。

案の定、金は0だ。これでオリンピックに向けて、どう進めていけばいいのだろう。また、伊調など選手の方も、爺さんより若い男性の方が、なんとなくなんとなくである。そういう年齢でもある。そういうところは一切考慮されなかったのだろう。しかし、私は考えた。爺よりも、なのである。

だが金メダルは年齢制限がない。やはりあっていたのだ。選手がそういう練習をするのはよくない、そういうところまで栄コーチは知っていたはずだ。つまり選手の癖とか体の使い方とか、そういうところまで栄コーチは知り尽くしていたと思う。だから、他に行って、若いコーチに、それも男性と練習してみることは、有益かどうかご存じなのだと思う。

女性が男性と練習して強くなることもあると思う。しかし力に頼るばかりがすべてではないということもあるはず。男性と練習したから金が獲れたのだから、評価しろ、は分からないではない。しかし、やはり栄コーチの考え方があってのことだと思う。スポーツにパワーだけが勝負を決するのではない。バランスの取れた選手が、結局は金メダルにいちばん近いのだろうと思う。

東京2020に向けて、女子レスリングは大変な試練に見舞われている。今回の、ある意味失敗を栄コーチは、どう見ているのだろうか。柔道が指導者の交代によって、成績が上がったのは事実だと思う。

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岐阜の病院での熱中症?

まだ少し岐阜の病院での熱中症という報道がある。ここであるのは2つ。一つは”クーラーの故障が多く、部品を交換してもすぐに故障した”というもの。もう一つが”クーラーの定期点検をしていなかった”というもの。どちらもクーラーのもの。

これは誰の責任なのか?部品を交換していれば、その時に点検していることになると思う。すると、業者はここでみていますから、点検はいいでしょう、とも言うかもしれない。あるいは、故障が多いというのも誰の責任なのか?部品を交換してもすぐに故障してしまうなら、「これで修理は終わりました」とは言わないだろう。

何がいけないのか。新しいものに変えるにしても、あのビルを見れば、想像できるだろう。ビル管理の問題、あるいは施設管理の問題になるのだろうか。クーラーの専門的な知識が病院側にあるとは思えない。詳しいことを聞かされても分からないだろう。部品があれば、私も古い車を10年以上乗っていた。部品がないと言われて諦めた。車体の塗装が剥げてきたので、いくらで塗装ができるかを聞いた。

とても勘定に合わないので、新しいのにした方がいいと業者に進められた。そんなものだと思う。特にあのように終の棲家というような病院が、岐阜に存在していることに驚いた。東京にはないと思う。母の介護をしていて、そういうような病院を探していた。ただ母は拒否していた。私のそばを離れるのを嫌がった。デイサービスでも老人ばかりのところは、嫌がった。それはもっと若いときの経験によるようだ。それで5月に入る少し前から、もう私の限界が来ていたので、どうしても探さなければならないと決心した矢先だった。殺された。

こんな病院が身近にあれば、私も母も助かったかもしれない。ただ”ここで死ぬんだ”と思えば、母は拒否しただろう。病院の金銭面での苦労は大変だろうと思う。今回のことは、最初岐阜県警が「殺人容疑」ということで、匿名の電話1本で動いた。これは少しも悪いことではない。褒められるべきことだ。たとえば、容疑が固まり次第などど、よく聞くがあまり迅速に動かないと、警察の存在そのものが問われることになるだろう。

当初事件ということで動いたが、どうも事故のような感じがしてきた。それも病院なのか業者なのか。母親の場合は、警察も問題になるかもしれない。なぜなら殺人医がまだ診療を続けているのだから、大変なことだと思う。あまりにもやり方が手馴れているので、母の前にもあるかもしれない。それを考えると恐ろしいことだと思う。母の死にはたくさんの問題が存在している。大きすぎていまだに全てを把握しきれていない。母の場合は事故ではなく、事件だ。また医療過誤などというものでもない。過誤というのは、過失だ。

母の場合は過失ではなく、故意だ。過失なら、病院の方からとっくに謝罪でもしてくるだろう。故意での殺人だから、隠蔽している。大変なことだから。もし私が気がつかなければ、母にジコキシンなどというものが、過剰に投与されていたことも知らなかっただろう。私が母の死を説明した人たちの中には「そういうことは普通気がつかない」と言った。私もそう思う。姉も弟も母の見舞いに行っていた。たとえば、なぜ死ぬまで点滴をしていたのか?救急で運ばれるまで、母は籐椅子に座り、下剤も飲んで、後は睡眠薬を飲んで寝かせようと思っていた。それも水分を少し余計に飲ましてと。

ところがカルテでは「誤嚥する」ということを盛んに書いてある。それで薬も飲ませない。そのくせ朝の薬だけは飲ませている。つまり飲めない訳ではない。薬を飲ませないようにしているだけだ。私が「かかりつけ医の薬を飲ませてください」と言っているのに、飲ませない。飲ませないと不整脈が起きることを伝えてあるのに、意図的に飲ませないようにしている。そのくせ死亡すると分かると、薬を解かせてまで体に入れている。つまり解剖に備えてだ。これが殺人でなければなんなのか?他の人にしていないという保証もない。警察の罪は日に日に大きくなるだろう。

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