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母は

母の遺体が葬儀をする会場の方へ行った。もう母は家には帰ってこない。母が今回入院した時に、「よくなったら家に帰ろうね」と言うと、「うん」と母は力強く、また喜びであるかのように言った。

今回、残念ながら、このような結果になったが、わたしはますます母は殺されたのだろうという、確信を持っている。母の司法解剖(?)の結果を見て、警察は問題がないように言った。

しかし、そこが問題なのだ。解剖して何か出るかと言えば、出ないことは私も分かっていた。つまりそういうような行為なのだ。疑われないように、正当な医療行為であるかのように考えられる。

しかし、そこだ。それは母のように死期を迎えているような老人には、同じようにしているのではないか。つまり、西徳洲会病院では、これらの医療行為を全体として正しいとして考えているのだろうか?奇妙だ。

私は母が間違いなく殺されたという物証を持っている。それについて刑事さんに訴えたのだが、聞いてくれない。これらの事実関係をどうすればいいのだろう。私が考えていることが正しいと思うのだが、たとえば、このサイトにあげるべきか、あるいは他にサイトを作るべきなのか。

私は、母親がやられたことは、今までも他のお年寄りの患者にやってきたのだろうし、母のことで医師を逮捕しなければ、またほかの老人をやるのではないかと思う。常態的であろうし、ある意味、医師は楽に死なせてやったとも言うかもしれない。

看護師さんたちは、すべての人がそうではないのかもしれない。怠惰ではあるが、なかにはこのような医療行為に賛成していないのかもしれない。私に、母が殺されたという物証を渡していることは、心の中では許せないと思っているのかもしれない。しかし、看護師は医師に逆らえない。現に「お薬のことは先生に聞いてください」と言っている。

看護師は中には医師についている人もいるだろうし、そうではなく、許せないと思っている人もいるのかもしれない。それを私に託したのだろうか?そう少し調べれば事件の確証も得られるだろう。私自身は殺人行為だと思っている。

これらのことと日本テレビおしゃれ事件とは直接は関係ない。だが正当な医療行為として見えるようにしているのかもしれない。そういうようなやり方が似ている。もちろん、切り離して考えている。それはそれ、これはこれである。だから警察も気づくべきである。なぜ気づかないのか分からない。

私が愛しているのは警察と言う組織ではない。人としてごく自然に持っている幸福感である。正しいこと、真実について生きていくことだ。正義を愛しているだけだ。困っている人、社会的弱者に同伴すること。それだけだ。

病院にもいい病院もあればそうでない病院もある。医師も、看護婦も、患者も、警察官も、アナウンサーも、タレントも、他の誰彼も、いい人もいればそうでない人もいる。間違いがあればできるだけ早く修正し、真実事実に基づいて生きていくのが人としての道であろうと思う。私だって間違いを起こすことはあるだろうし、人間誰でもそうだと思う。しかし間違いであるなら、できるだけ早く正すことだと思う。

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