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2018年5月

ジゴキシンって

ジゴキシンについてネットで調べると、おかしなことにうっ血性心不全に用いると書かれているものがある。母は正にそれで死んだのだから。

この場合、徐脈にならないように使用することではないか。また不思議なことにうっ血性心不全であるならば、なぜ北原の先生は、使用していないのか?つまりそれを使用しないことによって、うっ血性心不全になることを回避しているのだから。

手足や肺に水が溜まることの回避策として、北原では成功しているのだ。それがなぜ東京西徳洲会では、わざわざその逆をしているのか。まして私に何の許可も得ずに?それに西徳洲会では「誤嚥性の肺炎」と言っているが、それがどこで出てきたのかもわからない。聞いてもいない。

加えて心不全のことなら北原で治療することになっているように、私は考えていた。ですからそれに従って、うまくいっていた。なぜ東京西徳洲会に行って、心臓をいじくっているのかもわからない。心臓なら北原さんなのだ。そんなことは許可もしていないし、考えてもいなかった。

西徳洲会の先生は、昔から心不全とかどうとか言っていた。しかし、そんなことは西徳洲会さんにお願いもしていない。私にしてみれば「それはいったい何の話なのだ」なのだ。西徳洲会は信頼性もないのだから、私がなぜそこで大事な母親の心臓を診てもらうことになるのだ。分からない。

つまり私としては、水が溜まるにしても、北原さんで解決している。心不全の可能性がなくなったと言われたばかりだ。それで私は納得している。それでいつかは腎が上手くいかなくなっても、それはそれで大往生なのだろうし、寿命だろうと思う。

でも、なぜ西徳洲会で心臓のことで診てもらうのか?その理由がない。心不全の恐れ何がしというなら、すぐに転院をさせてもらえばいいのだ。こちらが診てもらうことを信条的に「そのつもりがない」のだから。なぜ許可してもいない心臓をいじくっているのか?

ジコキシンについてネットの情報をみると、単純にはうっ血性心不全に用いるように書かれているものもある。しかし、これらの情報は誤ってもいる。なぜならジコキシンを単独での用い方だからだ。腎をたたいて尿が出ないようにすれば、うっ血性心不全になる。徐脈になれば、それに加速をさせることになるだろう。

いずれにしても私は心臓の薬を母に使用することを、許可していない。無断で打ったということは、殺人が目的だと思う。徐脈になれば、当然水はでない。うっ血になり、うっ血性心不全になると思う。なぜか「おしゃれ事件」に似ている。

たぶん先生も盛んに検索しているに違いない。たぶん過剰なジゴキシンで死亡するというネットの情報を知っているだろうし、医師なら当然知っているはずだ。ただあなた方に頼んでいない。心臓なら北原でやることだ。

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柳美里さん、ヘイトスピーチに

 柳さんはかつて従軍慰安婦やヘイトスピーチの問題に触れた。ネットの世界で「そんなに日本が嫌なら半島に帰れ」と心ないバッシングが飛び交った。むき身の心は打ち震えた。

時々在日の人たちに、心無いヘイトスピーチが行われる。好ましいことではない。そもそも「そんなに日本が嫌なら半島に帰れ」と言ったら、もうその人は議論を投げていて、負けである。

それは在日だけにではない。それ以外の外国の人にでも好ましくない。もちろん私にも考えられ得ることである。「日本が気に入らなければ出ていけばいい」というのは、議論としてはやはり負けである。

この言葉の背景にあるのは、その対象者を決定的に排除しようという意図である。そもそも民主主義社会に、このような言論・議論がおかしい。民主主義には排除思想がない。どんなに困った人でも、どんなに異質な人でも、共に生きていきましょうというのが、民主主義の基本原理である。

議論に負けてしまい、相手を排除するために「日本から出ていけばいい」というのは、そもそもそんな人は民主主義を知らないのである。単一民族であることを望み、権力的な思考が多い。権力を頼み、それもその権力は「うっすらと背後にある」、多くの日本人を頼みとして、言うのである。

しかし、日本は天照大神の国である。どのような人でも受け入れるべきである。誰にでも日は注ぐ。困難・辛苦を背負った人も、日本は進んで「日本に来なさい、私たちが守ってあげます」というのが、日本人としてのアイデンティティであって欲しい。

今現在、多くの外国の人、難病や人身の保護を求めて日本に来る人もいる。難民である。その人たちもいずれは日本の新しい風となり、力となるであろう。これからはそういう人たちの力を借りて、日本は国づくりを進めていかなければならない。

「日本を出ていけばいい」と言うのは、その人の負けである。それも惨めな…。

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医療過誤それとも

診療過誤ともいい,医療行為一般の誤りをさす。医学知識の不足,医療技術の未熟,診療行為の全体としての疎漏さ,不適切な薬剤や医療器具の使用などが原因となる。

医療過誤の意味である。どうも母は医療過誤ではないらしい。これは誤りである。過失だと思う。もし言われれば、ジコキシンを多く投与したということか。しかし、私には過失ではないと思う。明らかに故意だと思う。

不自然な行為と物証。昭島警察の刑事は、解剖の結果を見て不審に思わないのか。まあこぐ簡単な話、病院にいて、なぜ肺に水かたまるのか、とか。それについておかしくはない、不審の点はないというなら、死亡するすぐ前に、何らかの薬を入れておくということだろう。そうすると解剖でその薬が出る。ならばおかしくないだろうと…。

私は不審に思っていた。死ぬ前々日、上の血圧が寝ていて173あった。それがその翌日には、脈は70で上が106である。呼吸数が35。死ぬ一日前にこうなる。確かに行為の完成は前々日だと思う。また脈が少なく、やるのだろうかと思ったが、意外だった。これが実は行為の完成ではないかと思う。

この日にジコキシンなどの薬が抜けるようにしたのだろうか。とにかく転院を拒否し続けるわけだ。ジコキシンを投与した翌日から、私は転院を申し出た。おかしいから。すると看護婦が「転院はダメです」と大きな強い口調で言った。このような一連の行為を知り、母親は殺されるのだろうと思った。転院させなければ、母は死ぬだろうと思った。

相談員に、あることを聞くと、顔が硬直し、険しい口調になった。転院させるはずがない。つまり殺人である。医療過誤ではない。過失ではないのだ。しかし、母のようなお年寄りがこういう死に方をしても、誰も気がつかないのか。齢だからとか、介護は大変だからとか、裁判も大変だし、母はもう帰ってこないとか。そういうあきらめのようなことを考えると、たぶん、老人が何人もこういうふうに死んでいるように思う。

これなら検死してもでない。これからもやられるだろう。今までもしてきたのかもしれない。母は口がきけなくなるようにされても、懸命に私に訴えた。これが適正な医療行為とは到底思えない。何人でも殺せる。

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母は

母の遺体が葬儀をする会場の方へ行った。もう母は家には帰ってこない。母が今回入院した時に、「よくなったら家に帰ろうね」と言うと、「うん」と母は力強く、また喜びであるかのように言った。

今回、残念ながら、このような結果になったが、わたしはますます母は殺されたのだろうという、確信を持っている。母の司法解剖(?)の結果を見て、警察は問題がないように言った。

しかし、そこが問題なのだ。解剖して何か出るかと言えば、出ないことは私も分かっていた。つまりそういうような行為なのだ。疑われないように、正当な医療行為であるかのように考えられる。

しかし、そこだ。それは母のように死期を迎えているような老人には、同じようにしているのではないか。つまり、西徳洲会病院では、これらの医療行為を全体として正しいとして考えているのだろうか?奇妙だ。

私は母が間違いなく殺されたという物証を持っている。それについて刑事さんに訴えたのだが、聞いてくれない。これらの事実関係をどうすればいいのだろう。私が考えていることが正しいと思うのだが、たとえば、このサイトにあげるべきか、あるいは他にサイトを作るべきなのか。

私は、母親がやられたことは、今までも他のお年寄りの患者にやってきたのだろうし、母のことで医師を逮捕しなければ、またほかの老人をやるのではないかと思う。常態的であろうし、ある意味、医師は楽に死なせてやったとも言うかもしれない。

看護師さんたちは、すべての人がそうではないのかもしれない。怠惰ではあるが、なかにはこのような医療行為に賛成していないのかもしれない。私に、母が殺されたという物証を渡していることは、心の中では許せないと思っているのかもしれない。しかし、看護師は医師に逆らえない。現に「お薬のことは先生に聞いてください」と言っている。

看護師は中には医師についている人もいるだろうし、そうではなく、許せないと思っている人もいるのかもしれない。それを私に託したのだろうか?そう少し調べれば事件の確証も得られるだろう。私自身は殺人行為だと思っている。

これらのことと日本テレビおしゃれ事件とは直接は関係ない。だが正当な医療行為として見えるようにしているのかもしれない。そういうようなやり方が似ている。もちろん、切り離して考えている。それはそれ、これはこれである。だから警察も気づくべきである。なぜ気づかないのか分からない。

私が愛しているのは警察と言う組織ではない。人としてごく自然に持っている幸福感である。正しいこと、真実について生きていくことだ。正義を愛しているだけだ。困っている人、社会的弱者に同伴すること。それだけだ。

病院にもいい病院もあればそうでない病院もある。医師も、看護婦も、患者も、警察官も、アナウンサーも、タレントも、他の誰彼も、いい人もいればそうでない人もいる。間違いがあればできるだけ早く修正し、真実事実に基づいて生きていくのが人としての道であろうと思う。私だって間違いを起こすことはあるだろうし、人間誰でもそうだと思う。しかし間違いであるなら、できるだけ早く正すことだと思う。

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5月16日

5月16日、午前11時5分、ママンが死んだ。

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母は殺されるのか

今日も病院に行ってきた。今日は何かあるだろうと思った。私がそうだろうと考えると、なぜそうなるのか、分からない。私の大切な母親は、殺されるのだろうか?やはり、行くとマスク型の酸素を吸入されていた。

それで先生の方から説明を受けた。家に電話したとか言った。今日は時間をずらしていってみた。先生の説明が余りにも矛盾する。人工呼吸器をつけるかどうか聞かれた。それがどういうものか分からないので、兄弟に聞いてみた。兄はつけると言った。弟は逡巡した。結局付けることにした。姉はつけることにした。私はよく分からない。それが母にとっていいことなのか判断できない。

今日はM病院への転院ができないと、相談員から返事をもらった。それでMI病院への転院を相談しますと言っている。MI病院は消極的医療ということだった。たぶん駄目だろう。それでマスクを着けて、転院することができないようにしたのだと思います。いわゆる証拠隠滅をすることを考えているらしい。

しかし、これだけおかしいことをやられていて、母は殺されるのかもしれない。先生の説明が全く変。矛盾することを平気で言う。こうなると発覚しないように殺されるかもしれない。説明がとにかくちんぷんかんぷん。

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母の容態

今日も西徳洲会病院に行った。母が5月8日にジゴキシンを投与されてから、いちばん顔が回復しているように思える日だった。といって、決して良くなっているわけではない。

16時56分 37度、0分 173/54,78である。今日は血圧が高い。しかし脈拍が78にもなったのは、8日以来である。3日で薬が切れるとすると2回投与したのだろうか。

今日は4日目になるので、また行けば脈を落としてあるのではないかと思っていた。病室に入ると、母の久しぶりの目を見た。写真や動画を撮った。

母が自分が何をされたのか、私に必死に訴える姿に、私は涙がにじんだ。口からは言葉はでない。手は多少は動かせる。言葉にならないので、

「うっ、うっ」と私が聞くのに返事をする。言葉を出してと言ってもでない。自分が何をされたのか必死に訴える母は、意外と冷静のような感じもする。

そういう母の姿を見て、偉い人だと思った。母を誇りに思う。だから私は頑張らなければならない。何人かに母の事情を話した。しかし、現状を受け入れるような感情を表現する人もいる。

だが、このようなことを受け入れることが簡単にはできない。ニュースで介護殺人というようなことを聞く。それを考えると、そういう施設ではこのような薬は使用していないということかもしれない。

私がイメージに浮かんだのは、オウムが信者に注射をして殺害し、レンジで焼いたのをおもわせた。注射をされてすぐに、脈が29の時もあった。30台を連発し、徐脈になった。そうなると、脳障害や多臓器不全が頭をよぎった。臓器に影響を与えなかったわけはないだろう。

そのデータをとりたくて、北原に戻すことをお願いしたが、断られた。今のところ転院できない。このままは私が受け入れできない。母もそうだろう。自宅近くの病院に転院できることをまずしないと、安心して眠れない、私が。これからは分からないが、母が言葉にならずに訴える声を、無視することは私にはできない。

これは私や母だけのことでもない。これを容認すれば、次に次々に、誰彼をやるだろう。これが医療の正当行為と言えるだろうか。とてもそうとは思えない。次は私や自分の愛する夫や妻の場合もあるだろう。

あるいはすでにもう何人も、こうしたことをやってきたのではないか。たとえば、サラリーマンで病室に足を運ぶことができない家族は、知ることもできないだろう。あるいは徐脈を年のせいと言われて、納得してしまう場合もあるかもしれない。横浜の大口病院の例がある。誰かが問題を提起しなければ、やられる。次々に誰彼となく。

少しずつ前に進めていきたい。母は本当に偉い人だと思う。尊敬できる人だ。

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母親は殺されるのだろうか?

今日母親を見に行った。顔を少したたいた。体を少し激しくゆすってみた。反応がない。昨日で打たれた注射が切れるはずだ。半減が36時間。今日は4日目。

救急で転送するときに、T病院の悪い噂を具体的に知らなかった。しかしそれ以外選択肢はなかった。M病院が近くにあるが、以前ちょっとしたことがあった。しかし、よくよく考えると悪い病院ではない。姉が何につけ私に当たるので、今回もそうするだろうということで、問題があるといわれるT病院にした。内心ではMだった。

5月9日に転院を申し入れた。しかしTは受け入れない。相談員に相談した。そのことの答えを帰り際に聞こうとして、看護婦に取り次いだ。すると看護婦が、相談員に聞いて「転院はだめだ」と強い口調で言った。引き受け病院もそうだろうが、なんか証拠隠滅のようなことで、母は殺されるのではないか。大口病院の例がある。またほかの人の、T病院の噂も気になる。誰かが気がつくなり、事実関係をとらなければ、次々にやられる可能性がある。

私は今日は体調は最悪。そういうことをいろいろ考えると、眠れない。

とにかく医者も看護婦も言うことがまちまち。すべて矛盾することしか言わない。看護状況もずさん。医師の説明はない。2回聞いてはいるが、変な説明だ。つじつまが合わない。

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母その後

どうも変だ。母親の病状が考えられないような状況になっている。医師に聞いた。看護婦にも聞いた。しかし、どうも皆さん忙しいらしい。ちゃんとした説明を受けているのだろうか?医師に2回。別々の医者。看護婦に聞いても口を濁している。

そういうことなのか、と思う。

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セクハラ罪

福田前次官のセクハラ問題を巡って、麻生副総理兼財務大臣が「セクハラ罪はない」と発言。これに対し野田聖子大臣が「罰則や罰金を」と発言。

しかし、これは変だと思う。セクハラはまず第一に、それがそうかどうかわかりにくい。痴漢やわいせつ行為は、する方も自覚があるだろう。しかし、セクハラはどうなのか。相手の女性に対する好意を表現したつもりが、セクハラということもあるだろう。こればっかりは難しい。

もしそういうような状況になれば、男性は女性にどう好意を打ち明けるのだろう。バカバカしい話だが、それはテレビなどで公認されているような言葉を使うということだろうか。それって表現の自由に反するし、何よりも男性の恋愛感情が画一化されることにならないだろうか。

これって人間を鋳型にはめるようなものだよね。反対します。福田次官が「言葉遊び」と言ったことには、適切かどうかわからない。しかし、ある程度の遊びの部分がないと、人間の想像力も制限されることになる。隠蔽社会にふさわしいような、罰則のように思えてならない。

子供が少なくなっている。ある意味若い人たちが、委縮しているのではないか。生命の根源的なことが抑圧されるのには反対する。

まして福田次官のセクハラ問題は、明らかに財務省問題に絡んだものだ。そこでメディアを使って個人攻撃をすることは、好ましいことではない。それ以外のことが取り上げられてないので、恣意的に安倍倒閣のための材料としたのだと思う。だから女性記者は、メディアを使って福田氏を叩くために、情報提供をしたのだと思う。

まして情報源の秘匿ってなに?自分たちの都合のいいように解釈しているだけだよね。私のことは、なぜ秘匿されないのでしょうか?この人が!とやっているではないか⚓自分たちの都合のいいようにしているだけ⚓

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母の入院

5月1~2日にかけて、母が入院した。脱水症状と言われたが、転院すると肺炎と言われた。肺炎の症状は1か月ほど前にも言われたが、改善していた。

しかし、このところ入れ歯が不具合なのか、あまりよく食べなかった。それと飲み込みが上手くいかなかったのか、私が栄養剤にしてみたりした。それも脱水症状なのか、分からない。

昨夜(4日)は、私が見ていただけでも、入院して全く持病の頻脈の薬を飲んでなかったので、15,60にも上がったりしていた。医者には、今にも死にそうなことを言われた。しかし、医師は、肺炎からきているものと思っていたらしい。そこで私が、持病のものだとずいぶんねばり強く説明をした。

そのせいか、今日は60ぐらいに落ち着いていた。血圧も120~60台だった。

母親が入院したので、私がよく眠れるかというとそうではない。昨日は7時間は眠れたのか。その前が4時間で起きてしまう。そういう習慣になってしまったのか、今日も昼間は頭がボーとしている。体は疲れ切っている。歩けないのでうまく疲れないのか、体の切れがない。

加えて超音波盗聴だから、眠れるわけがない。よく冤罪で犯罪を犯してもない人間が犯罪を自白する。あり得ないことだが、現実だ。実際取り調べで眠れないし、何時間もされれば楽になりたいと思い、してもいない罪を告白する。

警察の方は寝かさないだろうし、犯人でないことが分かっていても犯人に仕立て上げる。それは私が経験しているのでよく理解できる。介護がこれほどまでに手のかかるもので、大変なものだとは現実を経験してみて、はじめてわかる。よく介護殺人がニュースになるが、母も私に「殺して」と言ったことがある。死にたくない気持ちがあり「死」を連想させると、私の手をひっかいた時もある。

ぐっすり眠れないことは、拷問である。

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