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個人的な問題報じるべきか

マスメディアで最近、不倫やセクハラなどが多く報じられていますが、日本の将来にとってそれほど大きな問題なのでしょうか。(略)某編集者がテレビ番組で「読者が喜ぶから」と正当性を主張していましたが、ジャーナリズムは「報道の自由」が保障された上で、社会や政権の不正・疑問点をあぶり出すことこそ本来の使命であり義務だと考えます。

これは今日の東京新聞の「発言」の中の一つです。自営業 黒田邦男 74歳(東京都中野区)の方の発言です。

その通りのことです。某編集者の発言はテレビに出演していてのものでしょうから、全くの嘘に類するものと考えていいでしょう。なぜそう発言するかと言えば、テレビ自体がそうだからです。テレビ局特に民放の程度はこのくらいなんです。それ以上の難しい問題は、彼らには扱えないのです。だから適当なコメンテーターなどを使って、解説のようなことをしています。と言って、その解説が適切であるかどうかは、また別のことです。

民放テレビ局は、驚くほどよく知らないのです。だから話題があっても、取り上げようがないのです。取り上げられたものを見ると、ほとんどどうにでも責任を回避できるものでしかありません。つまり、ジャーナリズムなんてものは、日本にはないのです。自らの発言に命を賭けるジャーナリストはいません。

その点、外国では違います。市民が皆さんいろいろとデモをしたりして、意見を出します。皆さん勇気があります。それを保障しているのが、民主主義社会です。ところが日本ではそれが保障されていません。ここ最近でも、何らかのデモをしたことに、ネットで「公安が彼らの写真を撮っている」として、彼らの人生は、もう終わりだと、記事がありました。

つまり、日本人の感覚では、社会に向かって何らかの発言をすることは、自身の生活の安全も保障されない社会なのです。それを皆さん、何らかの感覚で知っている。だからデモもしない。これでどこが民主主義社会が醸成されていくのでしょうか。

「日本テレビおしゃれ事件」を見ればわかるでしょう。発言した人間を弾圧です。バカで愚かな人間たちです。いずれ自分たちもやられるのに、です。それに対し何ら責任さえ取れない当事者たち。性犯罪者を守る警察。刑法は何のためにあるのでしょうか。投書を送らせた人間が盗聴音を聞いている。自作自演もここまで。

私は決して黙らない。花田にはもうとっくに出してある。知ってるだろうし。

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